びおの珠玉記事
第198回
W市駅の椅子【益子義弘】
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年03月11日の過去記事より再掲載)

スケッチ:文 益子義弘
「コンコルド広場の椅子」と題する小版の詩画集がある。パリの広場のあちこちに置かれた椅子をモチーフにして、日本画家・東山魁夷が描いたものだ。
ぽつんと片隅に置かれた一脚の椅子、寄り添うようにある二つの椅子、輪を描くように集う複数の椅子。どこにも人影はなく、描かれているのはただ椅子だけだ。でも静かに捲るそれぞれのページから、かすかな囁きやさんざめきが聞こえてくる。やがて椅子が踊りだす。高く空中に舞いあがる。
椅子には人の気配が色濃くある。人が座るために作られているのだから当たり前といえばそれまでのことだけれど、画家の目がそれを優しく感受し、椅子に心を託して想像の視界を広げて行く。
ぼくらが設計する空間の場面に椅子を描き添えるときも、想いはそこに生まれるであろう人たちの居場所のかたちに向いている。独りの場所、家族の集い、大勢の場。物としての椅子に心ゆだねながら、そこに生まれる人の関わりやその情景を空間の中に思い描く。
一脚の素敵なデザインにも、もちろん惹かれる。欲しい名品はたくさんある。形の美しさや心を穏やかにする心地のよさ。でも、そうした物の形の前に、場所を生む椅子という物の力を不思議にもまた素敵にも思う。
ところで…。ぼくがいつも通るW市駅に、近ごろ新しくベンチが据えられた。小ぶりな二脚つながりの椅子が、ホームのところどころに置かれている。おやおやと思った。
おやおやというのは、その配慮を歓迎しながら、そこに人はどう座るだろうかと思ったからだ。二つくっ付いた小ぶりな椅子はとても親密な感じで、知らない人同士ではどうもなァ。通るたびに気になって見るのだけれど、案の定、親子や仲睦まじげな二人は座っても、多くは空席で、一人が荷物を脇に置いたりしている。
ある日、昼の空いたホームで本を読みながら腰かけていたら、隣に大柄なおばさんがどんと座った。やっぱり、ぼくはつい立ち上がってしまった。若い娘さんだったら…と思いもするけれど、まあ、そんな場面はあり得なかろう。