“Families” on the move
移動する「家族」の暮らし方
第3回
日本の「お母さん」
ネパールから来たビサールさんの物語(2)
ビサールさんが営むインド・ネパール料理店を3度目に訪問した時、それまで見たことのないおばさまが接客をしていた。ビサールさんと料理人の若い男性は、キッチンでせわしなく働いていた。店内はほぼ満席で、一番奥の壁向きのカウンター席に通された。席につくと、目の前の壁にビサールさんの写真が貼られていた。接客のおばさまが、私に水を出しながら、「ビサールの写真を見ながら食べるのいやでしょ、ごめんなさいね」と、冗談めかした口調で言った。私は少し笑って、ランチのBセット(2種類のカレー、ナン、サラダ)を頼んだ。おばさまは注文を取り終えると、他のお客さんと、実家はどうだったかとか、家族は元気にしているかとか世間話をしていた。ランチタイムが終わり店内がすいてから、おばさまにあらためて挨拶をして、ビサールさんの取材をしていることを伝えた。するとビサールさんが横から「僕、アイドルだからね」とおどけた。それに対しておばさまは、すかさず「えっ、何?聞こえない」とかわした。そのかけあいが絶妙で、私は爆笑した。おばさまは、「でも、なかなかいいキャラでしょ」と、ビサールさんのことを自慢するような表情で言った。ビサールさんが「のりこさんは、お母さん」と言うので、「誰のお母さん?」と聞くと、「僕のこと息子みたいによくしてくれるの」と答えた。
団地で店を始めてすぐの頃、ビサールさんがジョギングをしていた時に、犬と散歩中ののりこさんに挨拶をしたのがきっかけで、ふたりは親しくなった。ビサールさんは挨拶をするのが好きで、近所でよく会う人には、できるだけ声をかける。それは、ネパールに住んでいた頃からの習慣だ。今でも、ネパールの実家に帰って近所のバスに乗ると、乗客全員を知っているくらい、誰にでも明るくオープンな態度で過ごしてきた。のりこさんはそういうビサールさんの姿を見て、「あなた、知らない人にも挨拶するのすごいね」と感心した。長年、団地の近くで暮らしてきたのりこさんは、商売を始めたばかりのビサールさんに、地域の人びとや守るべき慣習を紹介した。店が混み合う週末には、接客を手伝うようにもなった。店を始めて数年後、ネパールに一時帰国中に結婚して、妻サビナさんも一緒に団地で暮らすようになってから、ビサールさんにとって、のりこさんの存在はより一層大きな支えになった。日本での生活の勝手がまったくわからず、知り合いもいないサビナさんに、日本語はもちろんだが、いろいろなことを教えてくれた。ビサールさんが、インフルエンザにかかって処方された薬を、間違えて2倍量飲んでしまい倒れた時には、救急車を呼び世話をしてくれた。娘が生まれると、孫のようにかわいがってくれた。一家にとってのりこさんは、日本の「お母さん」になった。誕生日や母の日には、必ず家に贈り物を届けに行く。