小池一三の週一回

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伊礼智さんの住宅本2冊を読む

伊礼智いれいさとしさんの本が立て続けに、2冊出版された。
1冊は、『伊礼智の住宅デザイン DVDデジタル図面集』(エクスナレッジ)で、もう1冊は『伊礼智の設計作法II』(新建新聞社)である。
前者は、伊礼さんの設計の勘所を「基本」テクニックと、「一工夫」の2つに分類して紹介しており、それを豊富な図面と写真で解説していて、写真つきのデジタルブックというのが特徴となっている。
後者は、工務店業界紙である新建新聞社が発行する月刊誌に連載された記事をまとめた本である。本の帯に、「いいなあと思ったら、スケッチを描き、時には寸法を採り、なぜいいか? を考える。理解できたら、即、自分の仕事に取り入れてみる。真似することは決して悪いことではなくて上達の基本」と書かれていて、それは著者本人の経験にもとづくものであり、率直にして平易である。「設計は、難しい。でも、楽しい」という。
2冊の本の体裁は似ているけれど、内容は異なる。若い設計者と、地域で仕事をする工務店に向け、それぞれにとって役に立つ本を作ろうという筆者の思いが、ひしひしと伝わってきて、伊礼智その人がそこにいる。

わたしが伊礼智さんと知り合ったのは、伊礼さんが藝大の院生のときで、もう33年も前になる。当時、私は工務店で仕事をしていた。その工務店は、伊礼さんの先生である奥村昭雄に住宅設計を依頼した。依頼は、邸宅ではなくて建売住宅だった。
F・LL・ライトが、アメリカの「普通の家」のためにユーソニアンハウスに取り組んだように、日本の建築家に、あのような仕事をやってもらいたと考えて、後先考えずに依頼したのだった。私の青臭い話に、奥村さんは耳を傾けてくださり、師の吉村順三がそうしたようにベーシックハウスに取り組まれた。
その工務店は、天龍ヒノキが売り物だったが、奥村さんは、構造材に米栂べいつがを、仕上材にベニアを用いられた。工務店のメンバーはどぎまぎし、寄ると触るとその話で持ちきりだった。奥村さんは、1台のストーヴで全館を暖房する煙道熱管暖房方式を採用された。のちに空気集熱式ソーラーに発展する「秘技」を、工務店の建売住宅に用いたのだった。
わたしは、読みかじりの話を持ち出し、「ライトは、ローコストのユーソニアンハウスで、当時、アメリカで高級な設備とされた重力式暖房を用いたんだ。奥村昭雄の方式はそれに匹敵するんだよ」と言って、工務店のメンバーに吹き込んだ。
この建物が竣工した後、藝大の奥村研究室のメンバーがやってきた。その一人が伊礼さんだった。人懐こい人だな、というのが最初の印象で、この印象は、今も変らない。この人の精神、soulというか、揺るがない感情の根にあるものは何だろう、といつも思う。

『伊礼智の設計作法II』の冒頭に、伊礼さんが育った伝統的な沖縄の家が出てくる。寄棟に赤瓦の建築は、沖縄独得のものである。垂木の上に竹を編んで敷き、泥がためして雌瓦を固定し、その間に雄瓦を被せ、台風などの強風に耐えるように、瓦と瓦の隙間を漆喰で塗り固める。瓦の赤と漆喰の白とのコントラストが美しく、鮮烈なブーゲンビリアの花とよく似合う。
わたしは、この本の写真を見ながら、彼の少年時代を思い浮かべた。
沖縄の家は、人寄りの家だから、大人たちが泡盛を持ち寄って唄を歌い、踊り、喋り、笑い、泣き、わめき、したことだろう。赤銅色に日焼けした、無精ひげのおじさんの手が、智少年の肩を抱きすくめ、掌中の珠のように頬擦りしたことだろう。
そうしてまた、沖縄の家は風通しのいい家だから、照り返す夏の熱射を、一陣の風が吹きはらい、智少年に爽快をもたらしたことだろう。沖縄の家は、日影にいると意外と涼しいのである。けれども、風通しのいい家は、台風が来襲すると、凶暴な牙を剥き出して襲い掛かってくる。智少年の耐性は、そうして彼の体幹のなかを生きているのではないか。
沖縄民謡に『花~すべての人の心に花を』という歌がある。「泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ」という歌詞である。この歌は喜納昌吉によって作詞作曲された歌である。現代ミュージックなのに、カテゴリーとしては、どういうわけか沖縄民謡に括られている。
『島唄』もそんなふうだ。これを作詞作曲した宮沢和史は甲府の人である。沖縄を旅していて、おばあさんから話を聞き、「島唄は 風に乗り 鳥とともに 海をわたれ」という唄を作ったのだった。

柳宗悦に『芭蕉布物語』(榕樹書林)という本がある。何度も繰り返し読んでいる本である。柳は、この本において糸芭蕉から布が織られていく工程を追い、美しいものがつくられるときに不可欠なものが何であるかを語っている。この本のあとがきで、柳は「芭蕉布を例證れいしょうにして」「美しさの泉を訪ねるのが目的」だと述べている。
伊礼智の2冊の本を読んでのわたしの感想は、柳の『芭蕉布物語』に似ていると思った。

 

前々週に運慶について書いたところ、知り合いから、「運慶は道なき道をかき分けて円成寺に辿たどり着いた」とあったが、「そんなところに、よくお寺が建てられたね」という質問があった。いわれて見ると「そうだよなぁ?」と思い、調子のままに書いたのは確かだけれど、出羽の山寺(宝珠山立石寺)にしても、中国の武夷山の天游峰から下ったところに建てられた桃源洞道观(道教寺院)にしても変ですよ。あれ、唐朝の時代に建てられたのだから、道なんてあったのかしら。

著者について

小池一三

小池一三こいけ・いちぞう
1946年京都市生まれ。一般社団法人町の工務店ネット代表/手の物語有限会社代表取締役。住まいマガジン「びお」編集人。1987年にOMソーラー協会を設立し、パッシブソーラーの普及に尽力。その功績により、「愛・地球博」で「地球を愛する世界の100人」に選ばれる。「近くの山の木で家をつくる運動」の提唱者・宣言起草者として知られる。雑誌『チルチンびと』『住む。』などを創刊し、編集人を務める。