小池一三の週一回
第3回
「小さな平屋に暮らす」本
季刊誌『住む。』を編集されていた山田きみえ編集による『小さな平屋に暮らす。』という本が、平凡社から出版された。本文126pの薄い本で、細明朝体で印字されたタイトルも小さくて、書店の棚に埋もれてしまうのでは、と心配されるけれど、この本を手にすると穏やかな気分を誘われる。小さな、ときて、平屋に暮らす、というタイトルがいい。
堀部安嗣の言葉が、本の帯に、こう書かれている。
平屋は、樹木に包み込まれ流ように風景に溶け込み、謙虚な姿が好ましい。
隣家に圧迫感を与えず、日照や通風を与える、利他的な佇まいは自らの家の庭にも陽光と風を与え、すべての窓の景色が明るく淀みがない。
風雨や地震に対しては強く備え、安心感がある。
平屋は建築の原型といえるのではないだろうか。
「風景に溶け込む、小さな平屋6例」が紹介されていて、6例の事例は、それぞれ住まい手が、小さな平屋で暮らす日々を綴っている。ふつうは取材者(ライター)が書くところであるが、暮らしの仔細は、一日足らずの取材でなかなか語れないし、住まい手の暮らしのシーンが、一軒一軒、個性的に浮かび上がっている。そのことを通じて、住まいにとって本当に必要なものが何かが語られている。
事例の後に、それぞれ「設計ノート」が付されており、基本的な図面も配されているので、その家のことが手に取るようにわかるのもいい。
6軒の家の紹介の後に、「小さな平屋」の設計作法というべき基礎講座があって、堀部さんと一緒に「林芙美子記念館を訪ねる」にページが割かれている。
このページにおいて、堀部安嗣は鎧を脱いで、自身の住まいの好みを平明に語っている。最近発行された氏の、何冊かの厚く大きな本とは異なる面が引き出されていて、掌篇が持つ心地よさというか、山田さんはやっぱりうまいなぁ、と唸らせるのである。
わたしの家は、25年前に建てられた家で、54坪の家である。建築時には、母がいて、息子と娘が学校に通っていて、夫婦二人を含め、5人が住む家だった。最近、息子が戻ってきたけれど、結婚したら出ていくだろう。
広さを持て余している。家にいるとき、わたしは居間と寝室で間に合っている。こじんまりした平屋の家がいい、と思うようになったものの、今更、この図体をどうこうできるわけではない。堀部さんが書いているような家にしておけばよかった、と思うものの、もう引き返せないのだ。
家づくりは、その時いる家族の要望を満たすことを前提にプランを引く。若くて、お金がない時に建てれば、それに合った家を造るのだろうが、中年に入って、両親がいて、学校に通う子どももいて、建築用地が小さい場合は、どうしたって2階建になってしまう。殊に、わたしのような団塊の世代は、この鋳型に嵌ってしまう。
この本を読んでおけば、家族の変化をある程度シミュレーションして、持て余すほどに大きな家にならなかったのではないか、と思われてならないのである。