流しの洋裁人の旅日記

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五城目町:「GOJOME NARIWAI CREATIVE」ツアー

従来の定期朝市に加え、日曜に重なる回は、出店者も参加者も若者が加わります。

この日はハロウィンにも近かったのでハロウィンというドレスコードが設けられました。言葉少なげな高齢の方々も何の抵抗もなく奇抜にコスプレしていたので不思議がっていたら、「昔から仮装する街の行事があるため、みんな仮装に抵抗がない」とのことで、よそ者たちは度胆を抜かれていました。11月~3月は雪で閉ざされてしまうので、まちの楽しみ方として「動ける間にめいいっぱい楽しむ」という気持ちが根ざしているのかもしれません。この若者参加型の朝市も含めて、若者を流出させずに秋田でいかに教育の質をあげていくのかなど、住民が自らの住んでいるまちをいかにもっと楽しくしていくかを真剣に考えて行動していました。人口減でも高齢化でも文句をいうのではなく前向きに自らが取り組んでいく姿勢が素晴らしいなと感じました。

また、職人さんたちからお話を伺う中、雪で閉ざされるために、「コツコツ黙々と勤勉な努力を重ねる」県民性のようなものも強く感じました。日々、「流しの洋裁人」とは職人なのか、芸術家なのかと立ち位置を問われると、返答にいつもあぐねておりますが、「職人とは何か」「職人とはどうあるべきか」の姿勢を「ものをつくる者としての心得」として学ぶことができました。

「ものをつくる者としての心得」とは、「伝統や技術を守るだけではなく、新しい技術や工作機械にも常にアンテナを張り、自分の今までの技術に革新を取り入れていくこと」「つくることや売ることに対して勤勉に新しい可能性を探るべきであること」「一歩先の無理を引き受けることで、自分自身が成長し、お客さんにも喜んでもらえるようになること」「更新」するということがキーポイントのようです。

筆者も出店した朝市の様子。肥料屋さんの前にまちの酒蔵「福禄寿」さんから什器を借りて設営。売り上げはゼロ!! おばあちゃんたちの109「ちょうぎん」ではモンスラ(モンペスラックス)が売れ筋であり、サルエルパンツは売れない。ただ、なるほどこんなふうに作ればよいのかとおばあちゃんたちにはデザインソースとして人気でした。

朝市で街の方に協力してもらって洋裁の光景をつくることはできましたが、モノとしては一着も販売することができませんでした。そんな私には、これらの五城目の住人さんや職人さんの心がけや生き方、言葉一つ一つが身につまされるものとなりました。
また、地方でデジタルテクニックを主体とせずにあくまでそれはツールとして、ナリワイをつくるということについて問い直すきっかけになった秋田での滞在でした。

参考資料  『秋田県の諸職』秋田県教育委員会,1991
写真撮影 特記以外すべて Otan/Photography

著者について

原田陽子

原田陽子はらだ・ようこ
1984年晴れの国岡山生まれ。武庫川女子大学生活環境学科卒業後、岐阜のアパレルメーカーへ営業として就職。「服は機械で自動生産されると思っていた」を耳にしたことをきっかけに、全国各地へミシンや裁縫道具を持参し、その場にいる人を巻き込みながら洋裁の光景をつくる活動を、2014年9月から開始。現在、計40カ所を巡る。洋裁という行為を媒介に、人や場、文化の廻船的役割を担うことを目指している。

連載について

ある日、東京・新宿にある百貨店で買い物をしていたところ、見慣れない光景が目に飛び込んできました。色とりどりの生地がかかるディスプレイの奥で、ミシンにひたすら向かう人がいました。売り場に特設されたブースには、ミシン一台と「流しの洋裁人」と大きく張り出された布の垂れ幕がかかっていました。聞けば、全国各地に赴き、その土地でつくられた生地を用いて即席でパジャマのようなふだん着を製作する活動をしているのだとか。食事については、ずいぶんと生産地や生産者を気にするようになりましたが、衣服のことはまだまだ流行や価格に目を奪われてしまいます。原田さんの全国を股に掛ける活動記録から、衣服に対する見方が少しずつ変わるかもしれません。