“Families” on the move
移動する「家族」の暮らし方
第5回
新たな移住の決断
ネパールから来たビサールさんの物語(4)
ビサールさんの取材を始めて3ヶ月目、店に行くと珍しくビサールさんの姿が見えなかった。代わりに従業員のガネーシャさんとモハンさんが、キッチンで調理や皿洗いをしていた。店内には、私たちのほかに、カップルが1組いるだけだった。ガネーシャさんに聞くと、ビサールさんはアメリカのシカゴへ2週間ほどの旅行に出かけているという。私は一緒に来たプロジェクトメンバーのジョイスとなっちゃんと、食事をして帰ることにした。ジョイスとなっちゃんはカレーがメインの「レディースセット」を、私は玉ねぎやタンドリーチキンをほぐしたものが入ったスパイシーな炊き込みごはん「チキンビリヤニ」を頼んだ。そのほかに、「モモ」というネパール風の餃子を頼み3人で分けた。スパイスやハーブがたっぷり入った蒸し餃子のようだった。ガネーシャさんとモハンさんは黙々と働いていた。客と談笑したりはしない。料理は美味しかったが、ビサールさんのいない店は静かで物足りなかった。
後日、シカゴから帰ってきたビサールさんから連絡があり、会って話をすることになった。ランチタイムが終わる頃に店に行き、テーブル席で向かい合って話をした。ビサールさんは、シカゴ旅行の目的を聞かせてくれた。シカゴには、ビサールさんが「兄貴」と呼ぶ親戚が住んでいる。兄貴は、コンビニエンスストアが併設されたガソリンスタンドを10店ほど経営して成功している。そこで、ビサールさん一家もシカゴに移住して、最初は兄貴の店を手伝いながらいろいろ学び、後から自分たちで商売を始めることは可能か検討するために、現地を視察してきたのだという。私たちにとっては予想外の展開だった。ビサールさん一家は、団地の2階に住み、1階で店を営み、働きながら家族との時間もとれる「理想の暮らし」を実現しているように見えていた。なぜ、新たな移住を検討し始めたのだろうか。
ビサールさんにとって、日本で店を持つことは夢だった。最初は、日本語はもちろんだが、電車の乗り方も電化製品の使い方もわからなかった。日本に来て10年の間に、多くのことを学び、家族や仲間、地域の人びとに支えられながら夢を叶えた。次の10年は、妻のサビナさんの夢や、娘のソフィアちゃんにとって一番良いことは何かを考えて、それを実現させたいのだという。サビナさんは日本に来る前、小学校の英語教員になるための勉強をしていた。日本に来てからはソフィアちゃんが生まれ、子育てに追われる日々を送ってきた。日本語の習得もままならず、英語教員を目指すことなどとても考えられない状況になった。でも数年後にはソフィアちゃんが小学校に入学する年齢になるので、そのタイミングでサビナさんがアメリカの大学院で学べるようにしたいというのがビサールさんの計画だ。ソフィアちゃんも、アメリカの小学校で英語を使って学ぶことで、将来の選択の幅を広げられると考えたようだ。
私たちには突然に思われた移住計画だったが、ビサールさんは周到に準備していた。日本での「お母さん」であるのりこさんにも相談して、常連客や世話になった地域の人びとに新たな計画を応援してもらえるように、順に挨拶して回った。家族の夢を叶えたいと、力強く語った。後継者を見つけて店を渡し、人びとに紹介した。そして半年ほど経った頃、一家は本当にアメリカに移住した。出会ってからまだ1年も経っていなかったが、私たちは一家にとっての大きな節目を目撃することになった。のりこさんは「さびしくなるけど、ビサールたちには広い世界を見てほしい」と言って送り出した。あれから2年以上経った。時折ビサールさんがFacebookに投稿する写真を見て、アメリカでの暮らしを想像する。今の家にも、きっとスパイスの香りが漂い、ヒンドゥー教の祭壇が置かれているだろう。