物語 郊外住宅の百年

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ロンドン:冬の旅

レッチワースヘ

この旅の目的地、レッチワースにたどり着くまで、ずいぶんと回り道をしたが、それは私にとって一つの手続きだった。
ケムスコットからレッチワースへ向かう途中、大学都市オックスフォードに立ち寄ったのも、都市計画家アンウィンが少年時代を過ごしたこの街に、彼の計画の素景・素形を見たいと思ったからである。このことについては本稿後半にくわしく述べたい。
レッチワースへの道は、『アンウィンの住宅地計画』の著者・西山康雄が「黄金の住宅地軸」と名づけた、ロンドン北部の道路A1に沿いながら向かう。A1号線に沿って、ロンドン側から、ハムステッド・ウェルン・レッチワースの3つの住宅地が点在している。
A1号線は、イングランドとスコットランドの首都エディンバラを結ぶ総延長660キロメートルのグレートノースロードである。馬車道として敷かれ、郵便馬車がこれを使用し、道路沿いに馬車駅が発達した。産業革命時、この道路に沿いながら蒸気機関車が走った。日本の国道1号線にあたる黄金コースである。
目的地のレッチワースに向かうには、ロンドンから放射状に広がる幹線道路と、横につながる道路を頭に入れておけば、そう難しくなく行程を組むことができる。これも首都圏の外に延びる道路と環状道路の関係に似ている。
レッチワースに向かう途中にあるウェルンの鉄道駅は、バスの発着場にもなっていて、ロンドンからA1沿いの街を結ぶグリーンコーチが停車していた。ロンドンから郊外に向かうバスは、ロンドンの街を走る赤いバスと異なってグリーン色である。ロンドンを取り囲むグリーンベルトの外側に向かうバスだからなのだろうか?

ロンドンから郊外に向かうグリーンコーチ

旅行の案内書に、ロンドンを出発したグリーンコーチが郊外に出ると、間もなく都市を囲むグリーンベルト (環状緑地帯)に出ると書かれている。

グリーンベルトは、無秩序に都市が膨張することを抑止するために設けられたものであり、ナチスドイツの空爆を受けている時に発案され、1946年から実施された。
ロンドンの中心部から50キロの円の中に、4つの同心円によって区画を整理し、その外側にグリーンベルト(開発禁止区域)を設けた。グリーベルトの幅は19~24キロメートル。境界線は都心から10キロメートル程度。車で約30分。総面積は2300平方キロメートル。東京都全域に匹敵する広大なものである。
グリーンベルトの外側は郊外だよ、と明確に「線引き」されている。

この「線引き」という言葉は、日本においては、一つの都市計画区域を、市街化区域と市街化調整区域とに区分することを言う。役所も、不動産屋も、工務店も、この言葉を符号化していて便利な言葉であるが、ロンドン由来のものであることを知る人は意外と少ない。