物語 郊外住宅の百年

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ハワードの「田園都市」を日本はいかに取り入れたのか

グリーンベルトを模した市街化調整区域

日本の市街化調整区域——「線引き」のお手本は、ロンドンのグリーンベルトがモデルだった。
けれども、大都市を同心円的に囲むグリーンベルトは、日本においてはついに形成されなかった。日本のそれは、スプロール化(都市の無秩序拡大。「虫食いを意味する」)によって形骸化し、有名無実化しており、もはや取り返しがつかない状態を来している。
狂乱バブル期に、市街化区域内で農業を営んでいた人、例えば練馬大根を栽培している農家が、固定資産税の宅地並課税を問題視し、大騒ぎになったことがあった。当時、住宅地不足に追われていた住宅業界は、彼らが土地を安く売りたくないからゴネているなどと憤懣を口にのぼらせた。しかし、農家の訴えはもっともなことだったので、1992年に「生産緑地」と名づけて軽減措置が取られた。固定資産税と相続税を減額することで先送りされたのだった。
この措置は30年間の時限的なものだったので、30年後の2022年に切れてしまう。都市の中に残された緑地は貴重なものであるが、兼業農家が増え、耕作放棄地が生じたりして、当の農家事情が変化した。この「生産緑地」がどうなるのか、調整区域のスプロール化と合わせて、日本の土地問題は、今、大きな岐路に立っているといってよい。
本稿は、そのことが頭にあって書き始めたのだが、今しばらくは、来し方を振り返ることにする。

東急の田園都市線

さて、渋谷をターミナル駅に、多摩田園都市へのアクセス路線として開設された東急・田園都市線のネーミングは、ハワードの田園都市を模して名付けられた。この路線カラーがグリーンなのは、郊外居住都市に向かう電車であることを意図していて、ネーミングといい、路線カラーといい、ロンドン郊外の田園居住地に向かう構図と瓜二つである。
田園都市線が生まれた当時を知る人は、車窓からの眺めを、田畑や山林の中にポツポツと町が点在している感じだったと語っているが、今では車窓の両側の丘という丘には住宅が建てられてしまい、田園都市線とは名ばかりで、ベットタウンに向かう電車そのものである。
この路線は、起伏の多い多摩丘陵を貫通するため、カーブ、トンネル、切り通し、あるいは高架が連続しており、営業区間に踏切が一つも存在しない。それがこの路線のウリになっていて、ほとんどの区間を時速100キロメートルで走行する通勤・通学電車である。
Suicaなどの共通乗車カードが登場して以降、首都圏の交通は様々な会社の車両が乗り込むようになり、車体カラーは、まるでラッピング包装を競うように変化したが、田園都市線の路線カラーそのものはグリーンで変わりない。