びおの珠玉記事
第22回
旬のコラム
ハロウィンと冬至
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2014年10月28日の過去記事より再掲載)
野菜売場に、まるごとひとつカボチャが売られていました。大抵はカットしたものしか置いていないのに。
カボチャの旬は夏ですが、いまはもうひとつの旬、そう、ハロウィンです。
2014年のハロウィン市場は前年比9%拡大して1100億円が見込まれ、同年のバレンタイン商戦の1080億円を上回る見通し、という報道がありました。
この報道でハロウィンの市場規模を推計したのは、日本記念日協会です。
「ハロウィン」の市場規模は・・・ | 日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/mypage/535
もともと、同協会は2014年のバレンタインデーの市場を1500億円と予測していました(2013年は1310億円)。しかし、この日を前後した首都圏での大雪の影響もあり、結果は1080億円程度、となったようです。
この推計をもとに、日経新聞などが「ハロウィーン市場、バレンタイン超えた?」などと報道し、そのタイトルがあちこちに拡散して、なんだかハロウィン流行っているなあ、という後押しをしています。
「日本全国酒飲み音頭」でも「11月は何でもないけど酒が飲めるぞ」という歌もあるぐらいで、この時期は消費イベントがありませんでしたから、経済界としては大歓迎、なのでしょう。
ただ、触れられているのはパーティーでのコスチュームが売れているとか、仮装イベント、街コンといった、コスプレ行列、という側面がほとんどです。
旬の年中行事を愉しもう、とうたっている「びお」としては、どういう風に接したらいいものか。やっぱり、起源や目的を知っておくことからはいってみます。
ハロウィンは、ケルト人の自然崇拝に端を発しているといわれています。
10月末日はケルトの暦の1年の最後の日であり、1年の終わりと始まりを示す祭りが起源で、ケルトの暦は11月1日からが新年でした、と説明する資料は多いのですが、そうすると、1月というのは新年ではない、というなんだか変なことになってしまいます。
ケルトの暦が太陰太陽暦だったなら、10月末日は、今でいう12月の中旬から下旬です。つまり、ちょうど冬至のころです。
冬至とは、1年で最も太陽が低い日で、日の長さが一番短くなることから、太陽の再生の日として、世界各地でさまざまな祭事が開かれます。クリスマスも、元をただせば冬至の祭りです。ハロウィンも、古代ケルトの人たちが冬至に際して行った祭事であっても不思議ではありません。太陽が一番弱まり、再生する日こそが新年の始まり、という考えは、農耕中心で季節感が今よりもずっと大切だった時代には、ごく普通の考え方です。
けれど、太陽暦のクリスマスと重なってしまうとキリスト教的にはちょっと…ということがあったかどうか、ハロウィンは、あくまで11月1日の前の日、というポジションに落ち着かされたのではないでしょうか。
もし、ハロウィンが冬至の祭事だったとしたら。
なんと、日本では冬至にカボチャを食べる風習があるではありませんか。
ハロウィンにカボチャ、というのはケルトの風習ではありません。カボチャはアメリカ大陸原産で、大航海時代にヨーロッパに伝えられました。それ以前はカブが使われていたさらに戦国時代にポルトガルから日本に伝来しています。
洋の東西で、冬至にまつわるイベントにカボチャが登場する、というのはなんとも奇妙な一致です。冬場の作物が穫れない時には、日持ちするカボチャは重宝されていたのでしょう。
ハロウィンの原型は、冬至のイベントの他に、家族の霊を迎えることだったり、魔除けだったり、という話もあります。いずれも現代の日本で行われている仮装パーティとはあんまり関係がないように見えます。
けれど、日本に古くからある風習のお年玉も、もはや歳神から賜る魂、という起源を知りながらお金をもらう子は皆無と言っていいでしょうし、盆踊りや花火大会が鎮魂のために行われているかといえば、これも否です。クリスマス然り、バレンタインデー然りです。
宗教行事を、娯楽・興業に変えてしまう恐るべき力を、私たち日本人は折に触れて発揮してきました。
ハロウィンの起源となる祭りでは、魔除けのために火を灯し、その火を村の人々が大切に持ち帰った、という話もあります。このことにより、村は一体感を持ったのでしょう。
住宅街でトリック・オア・トリート、と騒いで呼び鈴を押してくる子どもたちは、一戸一戸の家が孤立しがちな現代の街を、もしかすると繋ぎなおしてくれるかもしれません。
日本の想像力が失われて久しい、といわれていますが、日本には、古くは神仏習合を行い、近年では携帯電話にカメラをくっつけ、ウォークマンを生み出した折衷力があります。
ハロウィンのグローバル化に図らずも抗して、何か面白いものに変化させていくのではないか、それは街コンとか仮装パーティとか、そういったものよりも、近所の家をトリック・オア・トリート、と騒いで押しかける子どもたちが成し遂げるのではないか――他力本願ではありますが、そんなことを考えたりしています。でも、同じ阿呆なら踊らにゃ損、かな?