まちの中の建築スケッチ

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山梨文化会館
甲府のランドスケープ
としての丹下作品

毎月26日は、青梅に墓参と決めている。我が家から高速道路を使って90分ほどで行ける。ときどき帰りに回り道をしたりするのであるが、今回は甲府に足を延ばすことにした。前回、戦後の建築の代表作品として、林昌二のパレスサイドビルを取り上げたこともあり、丹下健三の山梨文化会館をスケッチしたくなった。ほとんど同時期に竣工している。
やはり学生時代の思いが浮かぶ。2年生になって建築設計の授業で、透視図法を習っての演習課題が山梨文化会館であった。図面をもらって大きな製図版に消失点を取って、そこに長い定規をあてて何本もの放射状の線を引いた。40人の学生が、いろいろな角度から描いたこともあって、外観の印象は極めて強いのに、実物を見ていなかった。
16本の太い円筒のコアが巨大な柱で、その間を鉄骨の入った鉄筋コンクリートの梁がダブルに架け渡されている。まさに、建築が都市になった空間だ。今でこそ、まるで都市だと思わせるスケールの大きな建物が、少なくないが、1960年代には新鮮であった。その後、床が追加されたというのも、また、まだ増築の余地があるというのも、極めて立体都市的である。

山梨文化会館

築50年を越えるともなれば、コンクリートも外壁は黒ずんでいるのかと、なんとなく想像していたこともあり、全体の明るさにおどろいた。また、ロケーションも駅前の公園の対角線に立地して、堂々たる姿にお目にかかれたのは、嬉しかった。丹下作品としては、代々木の体育館が世界的に有名で、構造の坪井善勝との協働ということからも、戦後の建築家としてまず第1に名前のあがる訳であるが、コンペで決まった東京都庁舎が政治的臭いが強かったことや、自分で設計した成城の自邸にほとんど住まなかったことなど、巨人ではあるがあまり好きになれない人物ではある。東京カテドラルの双曲放物面で構成された造形などからも造形を強く意識したことは間違いない。傾向は異なるが、山梨文化会館は、構造的力強さが全面に出てユニークだし、新聞社と放送局が入っているということも形態と機能がぴったりのように思えて、さらに旧都庁舎のように取り壊されることもなくまだまだまだ長く使われるであろう、愛すべき建築のように思ったのである。
甲府を訪れたお蔭で、県立美術館では「落穂拾い」や「種を播く人」で有名なミレーの作品が12点も見られたのに加えて、県立文学館では没後30年の草野心平展も見られた。短時間の滞在であったが、なんとも満ち足りた気持ちで、渋滞気味の盆地を抜ける中央高速道路経由で帰路に着いた。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。