びおの珠玉記事
第29回
柿くへば…
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2012年11月2日の過去記事より再掲載)
秋から冬にかけての変化が一番感じられる頃ですね。
秋から冬にかけて出まわるのが「柿」です。
柿は、古くから日本で食べられている歴史ある果物です。
日本の柿
柿は日本が原産地という説と、中国から奈良時代に渡来したという説があります。
学名には「Diospyros kaki」と、柿の名がつけられ、日本国外でも「kaki」という名で栽培されているところもあり、世界的に見れば、日本の食べ物、といってよいでしょう。
室町時代の後期には、ポルトガル人が柿を持ち帰り、スペインを経てヨーロッパに、またポルトガル領だったブラジルから西インド諸島、さらに中南米からカリフォルニアに伝わったといわれています。
柿の栄養・効用
柿は古くから自生し、また栽培されてきたため、その品種は多く、1000を超えると言われています。日本の栽培種だけでも、40種類以上あります。中には早生種もありますが、ほとんどはこの時期に出回る秋ならではの果物です。多くの果物が年中店頭に並ぶなかで、旬が限られた数少ない食べ物です。
柿にはビタミンA、B、C類が多く含まれ、特にビタミンCの含有量は100グラムあたり70ミリグラム(甘柿の場合)と多く、「柿が赤くなると、医者が青くなる」という言葉があるほどです。
また、酒を飲む前に柿を食べるとよい、二日酔いによい、といわれます。
アルコールは代謝によってアセトアルデヒドを生じます。このアセトアルデヒドは毒性が強く、悪酔いの原因になります。
柿の渋みのもとになっているタンニンは、このアセトアルデヒドと反応しやすく、結合して体外に排出しやすくするようです。また、豊富に含まれるカリウムには利尿作用もあります。水分をとって柿を食べれば、二日酔いの解消が期待できます。柿が赤くなると、酔っ払いも赤くなる(むしろ、二日酔いは、青くなる)、のかな?
柿のいま
このように歴史があり、効用も素晴らしい柿ですが、他の果物に比べると、少し地味な印象があります。
季節感の強い果物ゆえ、出回り時期が限られる、ということもあるのでしょうけれど、もうひとつ、大手メーカーが作るような加工食品が少ないことも、そうしたイメージを醸成しているのかもしれません。
りんご、いちご、ぶどう、もも、さくらんぼなどの果物は、それぞれ横文字をつけられて、スーパーマーケットやコンビニで売られるお菓子やジュースなどに用いられています。
では、柿はというと、地元での加工品が目立ち、大手メーカーによる全国流通の製品では、あまりそういうものが見当たりません。
梨、ゆず、マンゴー、グレープフルーツから、コーンポタージュなど様々な味で知られるアイス「ガリガリ君」にも「柿味」はありません。去年(2011年)はモスバーガーで「玄米フレークシェイク<柿&マロン>」が限定で販売されましたが、今年(2012)は実施されていないようです。
生産地にいけば、柿酢や柿ワイン、柿のスイーツなどが売られています。
大手が柿製品に参入してこないのは、季節がら入手が限られるからなのか、カタカナ語にしづらく売りにくいのか、いろいろ想像は出来ますが、柿の最大の魅力である、あの歯応えと、甘味と渋みの複雑に交じり合った美味しさを、うまく抽出・表現できない、というのが本当のところかな、などとも思います。
柿の原体験
桃栗三年柿八年といわれます。柿の成長が遅いことを揶揄する表現です。でも、柿は成長した後、ずっと実をつけ続けます。
柿の品種として人気のある「次郎柿」は、江戸末期・弘化年間(1844〜47年)に、森町の百姓・治郎が幼木をみつけ、自宅に植えたことがはじまりです。
この木は明治2年に火事にあい焼失しましたが、翌年には芽を出し、数年後には再び実をつけ、焼失前よりも美味しくなったと伝えられています。
この治郎の柿は、後に次郎柿と書かれるようになり、人気品種となりました。火事に遭った原木は今も静岡県森町に残り、実をつけています。
柿の木が庭にある、という家も少なくありません。昔の子どもは、実った柿を、道から手を伸ばしてもぎ取る、なんてことは日常茶飯事だったような気がしますが、今はそういうことは問題になるのでしょうね…。でも、そうした悪ガキがもぎ取っていた柿の木は、いまでも元気に実をつけているかもしれません。
柿くへば
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麿
百人一首にも選ばれた柿本人麿(人麻呂とも)の有名な歌です。
柿本姓は、屋敷のそばに柿の木があったことから付けられたという説があります。
このころすでに、柿は普及していたようです。
柿本人麿は歌仙として崇められ、明石や奈良などに縁の神社があります。
出自や没地ははっきりとわかっていないようですが、現在の島根県益田市で没したという説があり、高津柿本神社が本社を名乗っています。(島根県には、有機農業で知られる柿木村(現・吉賀町柿木村)もあります。)
柿はその歴史から、文献にも多く登場し、また様々な俳句にも詠まれています。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
子規のこの句はあまりにも有名です。
秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味
奈良の宿御所柿くへば鹿が鳴く
など、「柿くへば」の他にも、奈良滞在時に柿を詠んだものが残っています。
高浜虚子が子規との関係を描いた「柿二つ」の題が表すように、柿は子規を語るときには外すことの出来ないものです。
子規は若くして結核を煩い、またそれを原因とした脊椎カリエスに生涯苦しめられます。
東京と松山間の移動中、大阪で脊椎カリエスによる腰痛で動けなくなり、その際に奈良を訪れます。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、その文面だけを読めば平穏な風景が想像できますが、喀血し、脊椎カリエスにより動けなくなるほどの激痛にみまわれた子規が、そして甘いものが好きだったという子規を想像すると、また違った風景が浮かんでくるのです。
柿の種
柿の登場する作品は多くあります。昔話の「さるかに合戦」では、「柿の種」が重要アイテムとして登場します。
物語は柿をめぐって猿に殺された蟹の子どもたちが、仲間を増やして猿に復讐を果たす、という凄絶なものですが、日本の昔話としては、勧善懲悪のハッピーエンドになっています。これに対して芥川龍之介は後日譚としての「猿蟹合戦」を発表しています。
彼等は仇を取った後、警官の捕縛するところとなり、ことごとく監獄に投ぜられた。しかも裁判を重ねた結果、主犯蟹は死刑になり、臼、蜂、卵等の共犯は無期徒刑の宣告を受けたのである。お伽噺のみしか知らない読者はこう云う彼等の運命に、怪訝の念を持つかも知れない。が、これは事実である。寸毫も疑いのない事実である。
芥川龍之介 猿蟹合戦 | 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/140_15196.html
この話の最後は、
とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。
という一文で終わります。
現代にも「柿の種」の争いがあります。こんなお菓子がありますね。
ビールのお供の「柿ピー」、訴訟の背景は?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20121005/237712/?rt=nocnt
今も昔も柿の種は争いの種なのか…? 芥川の「君たちもたいてい蟹なんですよ」が重くのしかかります。
柿は造作材としても用いられ、また柿の葉も、柿の葉寿司などの食用にも使われます。柿渋は防腐や染物などにも使われてきました。漢字表記が定着しているためか、古臭い、というイメージがあるかもしれませんが、いまも品種改良が続いています。
そういえば、忘れちゃいけない、干し柿。日本の原風景的干し柿を、住まいの衣替えと一緒に楽しむ。そんなことも出きますね。
自分だけの「柿くへば」を見つけよう。
参考 フルーツパーティ 丹羽秀子著 天野秀二監修 朝日新聞社