ぐるり雑考
第25回
本当に必要な仕事
ネパリバザーロの土屋春代さんが前に聞かせてくれた「工程や手間を出来るかぎり増やす」という考え方には、目から鱗が落ちた。
一般的な商品開発では、そこを合理化してコストを抑える。でも彼女が手掛けてきたのはフェアトレードの商材で、目指すのは「ネパールの女性の自立」だ。少しでも安くつくって市場競争力を高めようという発想がない。
その土地で手に入る素材で、停電でも作業出来て、やればやるほど本人の身に技術がついて収入にもなる。そんな機会づくりを考えているので、彼女のまわりで生まれる仕事はおのずと、有機的な自然素材による、電気を必要としない、手仕事のかたまりになる。
一枚の衣服に織り・染め・縫い・編み・ボタンづくり・刺繍など、複数名の仕事が重なっている。ついエルメスの鞄づくりを連想してしまうのだけど、いずれにせよ、これらの現場では「仕事を増やす」ことに十分な意味があり、顧客にも肯定されている。
一方、先日ヨーロッパを訪ねた際に考えてしまったのは、「仕事を増やす」ことの意味の無さだった。日本の話です。
欧州を列車で移動した人なら、駅に改札がないことや、発着のベルが鳴らないことを知っていると思う。高速道路にも料金所はないし、一般車道のガードレール設置も最低限。下はオーストリアのある駅前のロータリー。ご覧のとおり実にさっぱりしたもので、その下の写真は空港のトイレだったかな。
「日本には本当に無駄なものが多いんだな」と、あらためて思ったんですよ。男性用便器の大きさまで考えさせられる。そもそも、高速の料金所っていずれ無くなる予定でなかったっけ? ETCになって一見便利だけど、その維持管理費があらたにかかっているし、道路関連の予算なら税金でまとめて集める方がリーズナブルなはず。
道路に限らず、流通の仕組みも、捺印文化も、あれもこれも。人口を増やして内需を拡大し、そのぶん仕事もたくさんつくって…という時代は終わったはずなのに、仕事の無駄は整理されないままもっともらしい矜持を残して、運用コストは隅々まで高い。そんな中、人口だけが減ってゆくわけだ。働き手が足りないといった話の前に、まず社会の運用負荷を下げる工夫が必要なんじゃないか。
ネパリバザーロの話に戻ると、働くことを通じて人が育ってゆく、そんな仕事や機会の多い社会には、僕は賛成。課金システムを高度化させて、社会をよりお金のかかるそれにしてゆく仕事の増加には、まるで不賛成。
「仕事づくりが大切」と多くの人が言うけど、じゃあこれから要るのはどんな仕事なのか、ちゃんと考えないと。