ぐるり雑考
第26回
手弁当の勉強会
20代の中頃、知り合って間もないデザイナー氏に誘われて、情報技術に関する手弁当の勉強会に参加した。
世の中はちょうどインターネット前夜。大手新聞社の記者、編集者、テレビで見かける若手の文化人など、約10名が夜7時過ぎの虎ノ門の会議室に集まり、米国西海岸の最新レポートを聞きながら、これからの社会、コミュニケーション、知識や体験のあり方をめぐって楽しげに論じ合っている。
当時自分は会社勤め3〜4年目で、仕事がつまらなかったわけではないけれど、外の世界に触手をのばしていた。誘ってくれた彼は、台頭し始めたDTP(デスクトップ・パブリッシング)の先駆者の一人で、僕の「なにか探している」様子を感じて声を掛けてくれたのだと思う。
その部屋には追って日本の電子出版をリードしてゆく人物や、黎明期のバーチャルリアリティの研究者が集っていた。今から30年前だ。次の時代とその担い手たちはこんなふうに準備されてゆくんだな…と思い返すのはむろん後のことで、そのときは、ただ交わされる話題の一つひとつに心を奪われていた。
初めて聞く言葉も多いし、いちいち訊くことも出来ない(門前の小僧なので遠慮している)。くり返し出てくる単語の意味は文脈から推察する。その前にどんな話があり、後にどんな話がつづいているか。お兄ちゃんたちの会話に入っていきたいけど、受信で目一杯のザ・弟分状態。
しかし次第にお腹が減ってきた。弁当はいつ食べ始めるんだろう? そのタイミングが訪れる気配がまるで無い。この勉強会に参加したのは、初めて耳にする〝手弁当〟という言葉の響きによるところも大きかった。「手づくりじゃないとダメかな」「そこまで問われないだろう」など、さまざまな逡巡を経て当日を迎えていたのだ。
語りが一息ついたとき「お弁当はいつ食べるんですか?」と口を開いてみた。「…いつ食べてもいいですよ」と不思議そうな主催者。鞄から取り出して食べながら、再びみんなの話を聞いて。〝手弁当〟の意味が次第にわかってきたのは、最後まで誰も出さなかったから(弁当を)。言葉が獲得されてゆく手順とは、まあそんなものだろう。あれから歳を重ねた今も、似たようなことをくり返している気がする。
帰り道で、デザイナー氏が笑い転げていたのがいい思い出だ。仲良くなった。