ぐるり雑考
第27回
いい家のような
「主のような家」という表現があるが、「家のような人」もいる。最近の出会いを書きとめておきたい。
東京のパン屋さん・ルヴァンの甲田夫妻と神戸方面へ出かけた。三田の「キビトパン」を訪ね(いい店。お薦め)、店長くんのギターで一曲歌い、袋一杯のパンをもらい別れを告げて新神戸駅へ向かう道中、芦屋の「ベッカライ・ビオブロート」にも寄ってみようという話になった。
奥さんのマコちゃんが「ドイツで学んだ松崎君というパン職人が一人で焼いている。人気店で、つくる数も多い。普通はこなせない作業量を、同時進行で工夫して。早く焼き上げて帰ってしまうから、もうこの時間は店にいないはずだけど、伝言だけでも置いてゆければ」と言う。
ところが着いてみると、いないはずの松崎太さんがいた。一度店からあがったが、なんとなく戻ったのだと言う。本人も甲田さんたちに会えたのを驚いていて、嬉しそう。路駐で数分の立ち話だったが、一日を振り返ったとき、「今日はあの人に会えてよかった」と思える。僕にとって松崎さんはそんな人になった。
彼の出で立ちは服から靴までランナー仕様で、薄いリュックを背負っていた。店に来るのは毎朝2時半頃。それからパンを焼き、昼前にはすべての作業を終えて店をあがる。それから喫茶店で2〜3時間ゆっくり本を読んで。10km以上のランニングをし。帰宅して家族と食事をとって、夜の8時には就寝。そんな毎日をくり返しているという。
日本のパン屋の仕事は12〜14時間があたり前だそうだ。さらに長く働く店もあるだろう。パンづくりを学ぶ中、松崎さんはその長時間労働を「あたり前」と思わなかった。そして修行先のドイツで、自分が信じられる質のパンづくりを、生活にゆとりを持たせつつ合理的に実現する方法を、独自の道筋で見出してゆく。
その一部始終は『ベッカライ・ビオブロートのパン』という本に詳しい。パンづくりを志す人々に「僕はこんなふうに学び、こうしている」と報告する専門的な一冊だが、ある若者が、本人の生き方をきわめて具体的に見出してゆく冒険譚でもあり、僕は実に楽しく読んだ。
そして読みながら、「この人は〝自分の働き方〟をつくり上げたんだな」と思った。自分らしさを損なわずに、長くつづけたい仕事をちゃんとつづけてゆけるやり方を、お店や工房、原材料の調達、パンの製造方法、身体や心の整え方など重層的な環境を積み重ねて、それを日々メンテナンスしている。
住宅街を歩いていると、ときどき「この家いい!」と目や足のとまる家がある。玄関まわりの空気感。窓辺の佇まい。植栽の選択や、手の入った庭先の様子。その存在感は、周囲の家や街並みにもいい影響を与えていて。
あの日の松崎さんは思い返すとそんな一軒の家のようだ。中にいる彼を守っているし、彼自身もその家を大切にしていて。僕もそんな家のようでありたい。