びおの七十二候
第7回
蟄虫啓戸・すごもりむしとをひらく
冬眠していた虫が動き始める季節をむかえました。
蟄虫啓戸と書いて、すごもりむしとをひらくと読みます。土の中で冬眠していた昆虫たちが、戸(穴)を啓(ひら)いて出てくるというのです。
遠山啓という数学者がいました。この人は水道方式という、だれにも分かる数学を提唱した人として一時代をつくった人ですが、 啓という名前に惹かれました。つまりこの人は、むずかしい数学の戸を啓いた人だったのですね。
啓蟄をむかえると、山々や野原は、沈丁花や木蓮、辛夷、スミレやれんげの花が咲き出します。戸を啓いて出てきた虫たちとの合従連衡※1が始まります。そうして、春の気配が一気に高まるのです。
今回の句は、松本たかしの
を取り上げます。
恋猫は、俳句の春の季語です。「猫の恋」「うかれ猫」「春の猫」といった言葉もあります 。牡猫たちは、この時季をむかえると森進一のようなハスキーな声で、切なく、狂おしく鳴きたてます。そうしていく日も家を留守にして浮かれ歩きます。
人は世間体というものがあって、牡猫のように恋情を露わにするのは憚れます。けれども猫には憚りがありません。普段はおとなしい家猫の抑えられない遠慮のなさに、飼い主は大いに戸惑いを覚えますが、子孫を残すという猫の本能がしきりと訴えているのだと思います。そんな猫たちを詠んだ恋の句がたくさんあります。
橋本多佳子の句など、切なさもここまでくると、もう凄絶としかいいようがありませんね。
さて、松本たかしの句ですが、恋猫とからくれないの紐と絡み合うという句で、これもまた悩ましい句です。
からくれないは、漢字で「韓紅」と書きます。韓から渡来した紅の意、濃くて、深い紅の色です。元の意味は、呉藍だといいます。呉は呉服すなわち絹織物です。藍は、染料全般の意味がありました。在原業平に、
という、「小倉百人一首」にも入っている有名な歌があります。美男子の誉れ高い在原業平が、紅葉が映り込んだ龍田川を詠んだことそのものが、この歌を成り立たせていて、平安の女性たちは、この歌を、きっとうっとりとして詠んだことでしょう。
松本たかしの句の方は、からくれないの紐を引く恋猫を詠んでいて、こちらは何とも悩ましい句です。
松本たかし(1906年〜1956年)は、東京神田猿楽町の宝生流能役者の家に生まれました。代々続く江戸幕府所属の座付能役者の家の長男だったので、5歳にして修行に入りますが、14の時に肺尖カタルを患い、父からもらった「ホトトギス」を手にしたことで俳句に興味を持つようになりました。品位ある俳句で知られます。
この句に詠まれた、からくれないの紐は、能衣裳からきているのかも知れません。
松本たかしの句を幾つか紹介しておきます。
虫出の雷
この雷は、立春後の初めて雷が鳴る時候をいいます。
「虫出し」というのは、この初雷の時期が啓蟄と重なるからです。啓蟄は、冬眠していた虫たちが、土の穴の中から姿を表す時期をいいます。
雷と虫の這い出しを組み合わせた人を、ぼくは天才だと思います。
虫が雷を呼ぶのか、鳴り響く雷が目覚まし時計のように虫たちを起すのか、どちらか分りませんが、雷には音だけでなく稲光もあり、それは間違いなく長い冬から春への明転です。季節の変化を、これほど鮮やかに告げる言葉をほかに知りません。
しかし、この雷は案外あっさりしていて、夏の恐い雷と違って、一、二度鳴り響き、稲光がすると終わります。けれど、のどかな春を一瞬破る音は、眠っていたものが呼び起こされるものがあります。
子規も、秋櫻子も、草堂の句も、この一瞬の春の明転を見事に詠んでいます。
虚子と茅舎と青邨の句は、土中にひそみかくれて、冬篭していた生き物の“生”営みが、鮮やかに捉えられています。
※1:状況に応じて各勢力が結び、また離れるさまを示す故事成語
(2009年03月06日・2011年3月6日の過去記事より再掲載)