まちの中の建築スケッチ
第18回
六郷水門と水門小屋
——昭和初期の建造物の香り——
京急蒲田の隣の雑色駅で降りて、第1京浜国道を超えると、賑わいのある水門商店街が800mくらい続いている。そこを抜けると六郷水門のある南六郷緑地公園にさしかかる。水門は昭和6年の竣工で、六郷用水が多摩川に注ぐ土手に治水目的で作られたとある。丸みを帯びたがっちりしたコンクリートのタワーのような柱の構造体の間に、鉄板が吊られている。水門の内側にある小屋は、一部煉瓦積み風の外壁になっていて、昭和初期の香りがする。公園も、煉瓦が敷かれたりして、水路を囲んで気持ち良い空間が構成されている。元の住都公団、今はUR都市機構の南六郷団地の
六郷用水は、狛江市の多摩川を水源として、世田谷、大田の農業用水として利用されたもので、今も東急多摩川線の多摩川駅から鵜の木駅の間が部分的に再現されたりしている。国分寺崖線は、多摩川の河岸段丘で湧水もあちこちに見られ、多摩川駅前のせせらぎ公園内の湧水は復元された六郷用水にも注いでいる。南六郷の部分は、多摩川からの入江としての水場のみが残っているだけである。しかし、そこには、けっこう大きな釣り船が4艘も
多摩川の土手は気持ち良い散歩道にもなっているし、河川敷もスポーツ公園として活用されている。このあたりでは水門と隣の小屋だけが、レトロな景観を作っている。都会は、特に東京では、河川が
緑も大切だが、都会の中の水辺の存在は、とても価値がある。大田区でも、馬込のように台地の住宅地に住んでいると、このような水辺の存在すら知らなかった。自然景観というよりも、土木の歴史遺産としての味わいであるが、しばし佇んでいると、江戸時代から昭和初期まで、六郷用水が多摩川左岸の流域に恵をもたらしていたことが偲ばれる。