まちの中の建築スケッチ

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唐丹小中学校
——震災復興のまちの学校——

三陸沿岸の津波は、100年に一度の凄いものだった。幸い、釜石地区は、防災教育が徹底していて、小中学生の死亡ゼロという、釜石の奇跡に救われた。
釜石市唐丹小学校は、片岸地区にあった。三陸鉄道の唐丹駅の近くの新しい住宅地とともに、広いグラウンドもあったが、海抜2mくらいで、何せ津波にはなすすべがなかった。子ども達は、高台の天照御祖神社に逃げて助かった。一方の中学校は、小白浜地区の海抜20mくらいの高台にあったが、耐震補強が必要ということで、移転した小学校とともに、しばらく小中学校は仮設校舎が使われた。
多くの三陸の被災した学校の再建にあたって、プロポーザルが行われた。唐丹では乾久美子建築設計事務所の案が当選し、浜と山をつなぐ、卒業しても集まりやすい学校というねらいで建てられた。木造2階建ての校舎群を基本とし、いくつかの棟が渡り廊下で繋がれている。壁面の色はパステル調で、もともと唐丹のまちにある色を使ったとのこと。西側は、国道から少し下りたところに玄関があり、東側には、もともとの学校の入口があって、浜から幅6mの市道が国道に抜ける避難路として同時に整備された。
津波の後は、さらに人口も減り気味で、今は、1600人ほどが、小白浜を中心に、大石、荒川、川目、片岸、本郷、花露辺と唐丹湾を囲んだ集落をなし、唐丹小中学校の校区になっている。徒歩では難しい地区からのこどもたちは、市の提供するバスとタクシーでの登下校である。昔は、舟で通学していたとも聞いた。

まちの中の建築スケッチ 神田順 唐丹小中学校

体育館やプールも整えられ、同じ敷地に児童館(保育園)も設置されている。新しい道路を登り切ったところから眺めると、学校全体が俯瞰できる。新しい校舎で子供たちは、気持ちよい時間が過ごせていると想像できる。
2012年の最初の「唐丹小白浜まちづくりワークショップ」で、当時の小学生たちが、まちの未来の絵を描いてくれた。そんな子供たちもすでに高校生、大学生だ。
毎月、スケッチを描いているが、思えば古い建物ばかり。戦後の近代建築も寿命に近いものだったりする。新築もたまには、とペンを取り、描いて想った。この建物も、長く使われてほしい。1学年3人のときもある。生徒数が足りなくて廃校にならないか心配だ。学校の存続のためには、子供たちが居なくてはいけない。素敵な学校だからと言って、わざわざ越してくる家族もいるという話を聴いたことがある。
建物は、税法上の寿命などというものが、戦後の建物の寿命を短くしたように思うのだが、手入れ次第で、50年でも100年でも可能だ。鉄骨や鉄筋コンクリートだって、もともとの施工の質にもよるが、手入れをしなければ30年くらいで、ボロボロになってしまう。木造でも、50年、100年使い続けることは、十分可能だ。
海と森に囲まれた、唐丹のまちの学校が、これからは100年に一度の地震や津波に耐え、多くの卒業生たちが、訪れたくなる、まちの施設として長く使われてほしい。夏休み中の夕方、まもなく5時になるが、グラウンドで子供たちが遊んでいる。