色、いろいろの七十二候

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雷乃収声・彼岸花

彼岸花
こよみの色
秋分
真朱まそお/しんしゅ #EC6D71
雷乃収声
猩々緋しょうじょうひ #E2041B

今年の夏はたまらなく暑い毎日が続きました。一体、この暑さはいつまで続くのかと思っていましたら、ある日、冷涼を感じる朝がやってきて、数日、涼しい日がありました。そうしましたら、また暑さがぶり返してしまいました。
それでも日一日経るごとに、朝夕、秋がやってきます。
昔、東欧のハンガリーを旅していたとき、雨が降って、一日で夏から秋に転じたことがありました。その前日まで半そで姿だったのに寒くてならず、とうとうブダペストの街でセーターを買うことになりました。セピア色のセーターです。今でも秋が訪れると、お気に入りのセーターを、タンスの奥から出して着込んでいます。

ある日、突然にやってくる秋は、カナダのオタワで似た経験をしていて、この時は、一本の樹の上部は紅葉で、中ほどは黄葉で、下部は緑色の葉がついていて、それを写真に撮り、帰国した後、得意げにみんなに見てもらいました。

日本の秋は、日中は暑く、段々日が短くなるにしたがい朝夕の涼しい時間が増えていくという感じです。そんな季節と歩調を合せるように咲くのが、曼珠沙華まんじゅしゃげです。この花は、枝も葉も節もない花茎が地上へと突出し、花はその先端に輪生状に咲きます。
田畑の畦道、堤防、墓地などに咲きますが、俳人の尾崎放哉ほうさいが最後に過ごした四国小豆島のお寺の墓地を訪れたとき、列をなして咲いていたのが最も印象的でした。

曼珠沙華は、梵語(サンスクリット語)で赤い花をいいます。天界に咲く花という意味です。おめでたい事の兆しに赤い花が天から降りてくる、という仏教の経典に基づく言葉といわれます。山口百恵に『曼珠沙華』という唄がありますが、阿木燿子の作詞は「まんじゅしゃげ」ではなく、「まんじゅしゃか」と振り仮名がついています。梵語に込められた意味を表そうとしたのだと思います。

曼珠沙華は、いろいろな別名があります。
代表的なものは、彼岸花ひがんばなです。彼岸ごろから開花するというだけでなく、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、という不吉な意味だそうで、死人花しびとばな地獄花じごくばな幽霊花ゆうれいばな剃刀花かみそりばな狐花きつねばな捨子花すてごばな天蓋花てんがいばな墓花はかはな、毒百合、親殺しなど、この花には、どういうわけか不吉な呼び名がついてまわります。

柳田國男は『野草雑記』の中で、「東京の郊外で彼岸花、俳諧で曼珠沙華などといっている草の葉を、奈良県北部ではキツネノカミソリ、摂津の多田地方ではカミソリグサ、それからまた西に進んで、播州でも私たちは狐の剃刀と呼んでいた」と書いていますが、この花、国内だけで1090もの里呼び名があるといいます。概して暗い呼び名が多く、それだけ、この列島に住む人は不幸が多かったのだろうか、と思えたりします。
お隣の韓国では、「想思華サンシチョ」という名前がついています。「花は葉を想い、葉は花を思っている」という意味だそうで、美しい呼び名です。これを聞いてホッとしました。

まんじゅさげ蘭にたぐい狐啼きつねなく  蕪村
弁柄ベンガラの毒々しさよ曼珠沙華  森川許六(きょりく)
此のごろの西日冷たし曼珠沙華  大島寥太りょうた
曼珠沙華抱くほどとれど母恋し  中村汀女ていじょ
曼珠沙華さいてここが私の寝るところ  種田山頭火
労農の鎌に切られて曼珠沙華  西東さいとう三鬼さんき
われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華  杉田久女ひさじょ
曼珠沙華日はじりじりと襟を灼く  橋本多佳子

久女と多佳子の句は、何ともすさまじいですね。

文/小池一三

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2010年09月23日の過去記事より再掲載)