色、いろいろの七十二候
第31回
鴻雁来・天高し
コスモス色 #F85CA2
江戸紫 #745399
「天高し」は、「秋高くして塞馬肥ゆ」(杜 審言)からとられた言葉です。
塞馬は、匈奴の侵略に備える砦の馬をいいます。秋空が高く澄み、張り詰めた神経を強いられていた馬が肥えるほどだ、というのです。
秋の天気は、大陸からの移動性高気圧や低気圧が交互に日本付近を通ることにより、3~4日間で天気が周期的に変化します。低気圧の通過は、雨を降らせ、大気中のちりを落としてくれます。その後にやってくる高気圧は、乾燥した空気を運んでくれます。そうして透明な空気に身を包まれるようになると、自然と空も大きくなります。すぽーんと抜けるような空の青さは、この季節独得のものです。
モンゴルでは星は瞬かないという話を聞いたことがあります。大気が透明なモンゴルの大地では、星は直ぐそこにあって、満天の星が煌めくといいます。
北京の中秋の名月が見事なのも、同じことだと思われます。
凡兆の句です。凡兆は、加賀金沢の人だということのほか、出自も経歴も不明の点が多く、元禄四年に凡兆という俳号で登場します。「本朝文鑑」の「作者列伝」に「医を業として洛に居す」と記されていて、京で医者を開業していたらしいようですが、これも定かではありません。
ただ、芭蕉が嵯峨野の去来の落柿舎に滞在した折に、最も足繁く通ってきたのが凡兆であったことは知られています。しかし、その芭蕉とも反りが合わなくなり疎遠になったといいますから、むずかしい性格の人だったのかも知れません。凡兆は何かの事件に関わり、入獄します。その罪状が何であったかは分かりませんが、句は今も生きています。
どの句も、時と事をありあり表していて、いいですね。
古句は、意外に新鮮で驚くことがありますが、秋の天を詠んだ先の句は、秋になって空を見上げるたびに、ふいと口にのぼる句です。
漱石の『三四郎』に、「あの白い雲は雪の粉」だと、美禰子に話す場面があります。よく知られる場面です。美禰子に憧れを持つ三四郎は、聞きかじりの科学的知識をひけらかして「あの白い雲は雪の粉」というのですが、彼女は「雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くから眺めている甲斐がないじゃありませんか」と事も無げに言います。
美禰子との感覚のズレがおもしろくて、こういうカタチで近代意識を漱石は描いたということを知る場面でありますが、秋の空は、そう遠くから眺めるものなのですね。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2010年10月08日の過去記事より再掲載)