色、いろいろの七十二候
第54回
鶏始乳・梅の木
梅鼠 #C099A0
孔雀青#00708E
二十四節気は「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」とされる「大寒」で一年のおわりを迎えます。二十四節気は旧暦に基づくため、実際の自然現象とずれていることも多いのですが、大寒のいまごろは、まさにもっとも寒くなる時期です。1月と2月の日平均気温や日最低気温を比べてみても、多くの地域では1月のほうが低くなっています。
こうして見ると、1800年代には氷点下4度台を、1980年代ごろまでは0度台が多かった1月の日最低気温が、近年ではずいぶん上昇しています。
東京にかぎらず、他の都市でも同じような時期から温度が上昇している傾向が見られます。これをもって温暖化、といえるのでしょうか。
しかし、沖縄・宮古島では、上にみた都市ほどには温度の上昇がみられません。
都市部で見られる冬の最低気温の上昇は、地球温暖化が原因、という前に、ヒートアイランド現象による影響が大きいと考えられています。ヒートアイランドというと、都会の夏の異常な暑さを想像しますが、冬の夜間という、本来冷却されるはずの時期においても、都市の排熱は続いています。都市化による気温の長期変化を見ると、日最高気温よりも、日最低気温の上昇率のほうが大きいのです。
梅は咲いたか
梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ 山上憶良
梅は厳冬を乗り越えて春の訪れを告げる花として、万葉集の時代から親しまれていたようです。
「松竹梅」という言葉があります。今では品物やサービスのグレードのヒエラルキーで「梅」はもっとも低グレードのような扱いになってしまっていますが、もともとは中国で画題となっていた「歳寒三友」から来ています。冬の寒さの中、松は緑を保ち、竹も色褪せず真っ直ぐに立ち、梅は一番に花が咲く。冬に耐えて困難に打ち勝つ生命の素晴らしさを表現した「歳寒三友」は、日本に伝わり「めでたいもの」になっていきました。
今は春べと 咲くやこの花 王仁
百人一首の競技での序歌として知られる歌です(序歌では、「今を春べと」と詠みます)。皇位の空位を冬になぞらえた歌とも解釈されています。
梅の開花には、一定期間の低温が必須だともいわれています。昨年と同じように花が咲くことは、気候と生命の関係が不可分であることを示しています。梅の蕾を見つけたよろこびは、眠っているように見える冬にも、幽き生命の脈動があることに気づくよろこびです。
本来、生き物がもっともエネルギーを抑えて春に備えるはずの冬。特に路地での作物も採りづらくなる豪雪地帯では、保存食をつくり燃料をため、冬を越すために他の季節がある、といってもよいほどでした。
現在、冬も活動をやめない人間社会では、転じてもっともエネルギーを使う季節になってしまいました。自然界では、冬の過ごし方で春が決まります。「歳寒三友」と称された梅に倣うところは多そうです。
(2013年01月20日 の過去記事より再掲載)