「ていねいな暮らし」カタログ

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花森安治のレイアウト
——『暮しの手帖』

前回は、2020年1月の『暮しの手帖』の表紙に付された「丁寧な暮らしではなくても」のコピーにまつわる解釈についてまとめました。今回は、本連載の主旨でもあるレイアウトについて書いてみようと思います。と言いますのも、私にとってこの号は、コピー以上にレイアウトの変化に驚かされたからです。

「編集者の手帖」にもありますように、2020年1月発売号から、誌面デザインのリニューアルが試みられています。表2の部分に、花森安治時代からの「これは あなたの手帖です」の文言があることや、そこから目次にいたる流れは共通です。そこから先の、巻頭の「わたしの手帖」記事は広く余白が取られていて、写真日記のように、1ページに対して上半分に写真、下半分に説明する文章が並び、ある家族の肖像が8ページ続きます。写真と写真の間にも、読者の想像の余地とでも言えるような「余白」があり、ページをめくる手が止まり、このシーンの背景には何があったのかと考える時間も生まれました。これまでも、ある家族の台所や食卓に焦点をあてる記事は数多くありましたが、そこから料理やその他の家事の一工夫につなげられることが多かったように思います。初見では、初期の『ku:nel』の記事のような印象を受けましたし、花森安治が手がけた「ある日本人の暮し」的な位置付けになるのかなと思わされました。

『暮しの手帖』は、通史的に見てもレイアウトの変遷がさまざまある雑誌でもあります。花森編集長時代は、花森の「独裁」とも言われ、料理でも掃除でも解剖図的に伝える形式や、クレヨンもしくは濃い鉛筆で書かれたような筆致の題字が多用されます。誌面全体を使って、料理の手順や「商品テスト」の過程がダイナミックに伝えられていました。(2)にあげた資料でも、表紙の撮影や「商品テスト」の様子の写真が紹介されていることにも現れているように、一つ一つの状況を事細かに残すことが徹底されていたのだと思います。料理の風景をどのように撮ったかの結果だけでなく、自分たちはどう見せようとしているのかというところまで残そうという想いを感じるのです。

表紙の写真も、今で言うところのInstagram的とも言えそうな、フラットレイ型にモチーフが配置されたり、花森が師事していた佐野繁次郎の画を彷彿とさせるイラストが使われていました。佐野繁次郎が好きだったというマティスの絵を思い浮かべると、花森の「美学」的なものが絵画史のどこに位置しそうかというのも見えてくる気もしますし、その傾向は今の『暮しの手帖』にも脈々とつながっていると思われます。

21世紀に入ってからの『暮しの手帖』では、有山達也氏が手掛けるアリヤマデザインストアがレイアウトを担当したり、前回も少し触れた松浦弥太郎氏が編集長に着任するなどが起こります。(つづく)

(1)「編集者の手帖」『暮しの手帖』第5世紀4号、p.170
(2)暮しの手帖別冊『「暮しの手帖」初代編集長 花森安治』暮しの手帖社
(3)「ていねいな暮らし」や『暮しの手帖』の花森挿画のイメージ解釈については、私の住む尾道の人たちと研究会の場をもって議論を交わしたことを土台にしています。ここでの成果を、READANDEAT主催の「生活工芸と雑誌メディア」の会でお話ししようと思っていたのですが、延期になっています。再開が待ち遠しいです。http://readan-deat.com/blog/2020/02/28/kogeitozasshi/

著者について

阿部純

阿部純あべ・じゅん
1982年東京生まれ。広島経済大学メディアビジネス学部メディアビジネス学科准教授。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。専門はメディア文化史。研究対象は、墓に始まり、いまは各地のzineをあさりながらのライフスタイル研究を進める。共著に『現代メディア・イベント論―パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』、『文化人とは何か?』など。地元尾道では『AIR zine』という小さな冊子を発行。

連載について

阿部さんは以前、メディア論の視点からお墓について研究していたそうです。そこへ、仕事の都合で東京から尾道へ引っ越した頃から、自身の暮らしぶりや、地域ごとに「ていねいな暮らし」を伝える「地域文化誌」に関心をもつようになったと言います。たしかに、巷で見かける大手の雑誌も、地方で見かける小さな冊子でも、同じようなイメージの暮らしが伝えらえています。それはなぜでしょう。そんな疑問に阿部さんは“ていねいに”向き合っています。