森里海から「あののぉ」
第12回
茶堂(辻堂)
旅の途中、小さな小屋を見つけて嬉しくなることがあります。高知県梼原にある茶堂もその一つでした。
2年ちょっと前のこと、茅葺きのかわいい小屋を見つけて近づいてみるとそれは「四万十川流域の文化的景観」にも選定されている「茶堂」と呼ばれる小屋でした。そこには次のように茶堂の説明がなされていました。
『慶長9年(1604)から11年にかけて津野山郷各村々に茶堂を建て、弘法大師、考山霊、三界万霊を祭り、厄払招福の祭りをする申し合わせがなされたと、その起源について伝えられ、安永2年(1773)藩政時代の御巡見御用差出帖には辻堂と記されていて、そのお堂は、2間(3.6m)に1間半(2.72m)位の木造平屋建、茅葺屋根、板敷きの素朴な形式であって、木像、石像等の諸仏を安置して祀り、津野氏の霊を慰め、行路の人々に茶菓の接待を地区民が輪番で行い、信仰と心情と社交の場として、うるわしい役割を果たしてきた。現在も季節により行っているところもある。』
茶堂の数は明治後期には53棟ほどあったものが、現在では町内に13棟残っているのだと言います。梼原の茶堂は、写真のように茅葺きの入母屋風の屋根形状に木を使った独特の棟納まりが美しい小屋です。今でも使われている小屋もあるというのが素晴らしいし、点在する小屋群がつくり出す風景もまた地域性を感じられて好感が持てます。
茶堂はかつて全国の村の境や峠に設置されていたようで、世代を問わず村人たちの憩いの場として使われていたり、旅人や商人たちが村人からお茶やお菓子のおもてなしを受け、旅の疲れを癒やしたと言われています。
梼原に残っているものの他にベーハ小屋探索の際に見つけた愛媛県大洲の奥地のものや、香川県にも「四つ足堂」と呼ばれる茶堂がまんのう町勝浦地区に現存しています。それらのかわいらしい佇まいは小屋好きにはたまらない風景です。
日本の原風景として、また歴史の証人として、これからもその地にあり続けてほしいものです。
※ 本連載は、菅組が発行する季刊誌『あののぉ』で著者が連載している内容を転載しています。