まちの中の建築スケッチ
第43回
犬吠埼灯台
——今も活躍する歴史的建造物——
岬の先端に灯台がある。安全な海路航海に無くてはならないということで、今も活躍している多くの1等灯台が、明治期に建設された。管轄する海上保安庁は歴史的文化的資産としての価値を評価し、明治期の23の灯台をAランクに挙げている。犬吠埼の灯台もその一つで、利根川河口の銚子市にあって、明治7年から100万カンデラの閃光を点滅させている。第1等レンズは、展示館でも見られるが、内径1.8mの大きさで36㎞沖まで光を届ける。
目で確認する光が唯一の情報だったという時代と異なり、今ではレーダーなどの電子機器の役割がずっと大きくなってはいるのであろうが、それらの灯台が、休むことなく150年の歴史を刻んでいることはすばらしい。その多くが景勝地にあって観光的価値も高めている。2020年に国の重要文化財にも指定されている。
東京都は5月に入り、3度目のコロナ禍の緊急事態宣言。千葉県もまん延防止重点措置という中ではあるが、初夏の土曜日、青空で風も少なく、家族連れも含めて、それなりの数の人が出ていた。記憶では、40年ほど前に家族で訪問したことがあり、また20年ほど前にも銚子出身の環境学の学生の案内で訪れている。その2度目の訪問では、屏風ヶ浦の内陸部における風力発電機設置の環境問題を議論していたと思い返すが、今では、銚子市では30基を超えるまでになっているという。巨大な70mのタービンの羽がゆるやかに回っていた。岬の灯台と田園地帯のタービン群と、対照的な景観である。
敷地の外周を一回りすると、眼下の北側には砂浜の君ヶ浜が、南側には磯浜が眺められる。霧笛舎、気象観測などの管理施設や展示館も整っている。塔の中は、レンズを支える柱と外周の壁のあいだの螺旋階段を99段上ると、外の展望階に出られるようになっている。設計はイギリスの灯台技師ブラントンで、構造用レンガに日本製を使うことに反対したが、土木技師中沢孝政の説得により県内で生産したものを使うことができ、今まで地震、風雪に耐えているという。
灯台は、英語ではlighthouseである。ただの台ではなく、「家」ということで、人が中にいることを想像させる。かつては灯台守が24時間住んで、灯りを燈すということをやって来た。子供のころによく聞いた「おいら岬の灯台守は・・・」という哀愁を帯びた歌は、佐渡の
神田さんの新著『小さな声からはじまる建築思想』が出版されました。
書誌情報より
建物の耐震性や構造安全性の専門家として名高い著者は、建築の世界を志して以来、一貫してスクラップアンドビルドではなくストックを活用するまちづくりを提唱し続けてきた。
本書の特徴の一つとして、著者の言葉の端々に「一人ひとりの生活への想像力」が滲んでいることが挙げられる。そのような姿勢は、一体どのように涵養されてきたのだろうか?
転機となった東大闘争、世界的な経済学者・宇沢弘文氏が唱えた「社会的共通資本」の理論が神田氏の建築思想に与えた影響などにも迫る。東日本大震災の発生直後から関わる三陸復興のプロジェクトを通して得た豊富な知見も収録!
発行/現代書館
四六変型 184ページ
定価 1700円+税
ISBN978-4-7684-5894-5
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http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5894-5.htm
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