まちの中の建築スケッチ

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津雲邸
——昭和初期の文化財——

津雲邸

青梅には、父が40年以上前に、大多磨霊園に墓所を購入し、67歳で逝った。母が墓石を建て、毎年正月の命日前後の日には家族で参っていた。長男が33歳で9年前に亡くなってからは、月命日の26日に毎月、線香を上げに行っている。少し多摩川を上ると吉川英治記念館や川合玉堂美術館など、文化施設があって何度か訪ねているが、津雲邸を知ったのは、最近のこと。つい2か月ほど前にフェイスブックの友達が素敵な建物だと紹介してあったので訪ねてみた。
そもそも青梅は甲府へ抜ける街道筋で、宿も多かった。町なみとしてもレトロな町家、呉服屋、金物屋、履物屋などが残っている。昭和の映画の看板がまちのあちこちにあって、木造映画館としてシネマネコがこの6月に復活するという。まちあるきにも楽しい町である。
津雲邸は、JR青梅駅からもすぐ、青梅街道の住吉神社と反対側の細い道を入ったところにある。多摩川が何万年かかけて作った段丘が何段にもなっている地形だ。急な坂を下りる途中に玄関があり、立派な石垣の上に2階建て瓦屋根の木造建築がそびえている。5月1日から7月11日まで「和のしつらえ」という企画展のところが、コロナ禍で東京都は緊急事態宣言、東京都の自粛要請に協力のため、当分の間休館という。内部造作や、素晴らしい調度品とホームページに紹介されているのだが、残念ながら、外からのスケッチで想像することとなった。足を置くのに向かいの延命寺の敷地を少しお借りした。
石垣は、大きな石、小さな石を組み合わせて頑丈そうに見える。最近は、ほとんどがコンクリート擁壁なので、こういった石垣を組める人も少なくなっているのだろう。何よりもすべてを重機で組むというわけにもいかない、人の手の力を感じる。
少し、まちも歩いて、喫茶店で一休みすると「ぶらり青梅宿」の冊子が置いてあり手に取った。商店会や観光協会などのつくる無料冊子であるが、まちの様子がわかって楽しい。昭和の初めは、青梅の宿も賑わっていたようで、当然のこと花柳界もあった。どうやら場所は、津雲邸をさらに下ったあたり。銀座から移植されたという柳も健在で、説明の立て札もある。それなのに、冊子の地図には、津雲邸が出ていない。
まちの財産とは何か、魅力とは何か、観光とは何か。市の観光事業も縦割りになっているのか、と感じさせられる思いもした。何年も通っている青梅に、ひとつ魅力的な建物を見つけた。どこの地方都市にもいろいろな形でこの種の文化財が保全されているのであろう。これからもそんな空間で気持ち良い時をすごす機会を、ときどき持ちたいものである。