よいまち、よいいえ
第8回
新潟県佐渡島・加茂湖
水や山が見えるありがたさ
こんなに水位に近い部屋で
寝泊りできるのかと思ったからだ。
部屋の前には、50cmの高さもない低い土手だけ。
その土は、もぐらの穴のような跡がたくさんある。
向こう岸は、佐渡の両津港の街で、
この加茂湖は、海と水門なしにつながっている。
そこで水害を心配したものの被害はないと聞いた。
少し安らぎ、水鳥の姿や水辺の街並みを朝夕も満喫した。
見えない切なさから
列島の国、日本。隆起した島の中央は、山と森、そして海に囲まれているという美しい条件がある。
しかし、本州の大都会の一つ、今の東京の日々の生活では、大事な自然背景をついつい忘れてしまう。毎朝、朝食のために日本橋を渡り築地明石町まで歩いて往復する日々の中で、日本橋川や隅田川河口を見ているはずなのに、実感としては感じにくい。
子供の頃は同じ場所でも、つばめやモンシロチョウを見て、季節感と、川や海を感じられたはずなのに、高い建物や道路が急激に増えたせいもあるのか、あふれる情報と騒音でかき消される。
更に江戸城から市中に出る最初の橋、日本橋川にかかる常盤橋のたもとを、国家戦略の特別区域の一つとして位置づけ、日本で一番高い、エンパイアステートビルを超える高さ390mの建物を建てる計画がテレビ放送でも発表された。通りから富士山の見えた通りも、巨大な壁面が出現することになり、自然背景があるという感覚とともに空さえも、ますます少なくなる。
その開発においても疑問や意見を投げかけたが、環境影響評価書案やその説明では、環境変化にそう問題はなく、都市再生貢献し、基盤、金融、観光、防災、環境負荷低減などへも貢献するとしており、ますます見えなくされて不安も増大する。
見えない危うさ
そんな所でも特定の高い所に登れば遠景に山や海を見ることもできようが、一般では見られる機会は日常にはない。もともとの自然条件が、埋め立てや堤防や道路や開発によって、見えなくなった状態の中に来た人にとっては、自然災害があり得ることも気づきにくい。自然災害の懸念の周知は、土地価値の低下を避けるためにむしろ隠される。
3.11(2011年)の津波も戦後の市街地開発によって多くの命が奪われた一つであるが、その土地の原点を知らされない、あるいは日々に感じない不幸による災害が後を絶たないように思う。災害を避けるには、危うい地の市街化を避ける、あるいは、その地の持っていた自然特性など、一過性の観光客も含めて、見えない危うさも周知するような、少々辛い努力も求められよう。
目立つ危うさへ
一方目立つ物の危うさもある。例えば9.11(2001年)、当時世界一高かった建物の倒壊の惨事が思い起こされる。高い目立つ建造物には、惨事で死につながることの想定も広く明らかにしなければならない。また、ニューヨーク、マンハッタンの地盤と、水との境にあった地盤とは大きく異なる。
日本のように、地盤や地殻変動についても危惧ある場合は、その対応をいかにしたか、万が一の場合があるならばその前後についての対応についても、観光客を含めて広く明らかにして欲しいものだ。
見える安堵感と真の豊かさ感
今回の絵のような、水辺と街が水平に広がる景色の見える、水辺とほぼ同じ高さの宿で寝泊まりしたら、貴方は何を感じるだろうか。太平洋の島には、海に飛び出したコテージホテルも見られるが、津波等の被害例も既にあるものの、観光客は体験もなく、日常ではないから無縁として宿泊しているのだろう。水害を体験している方ならば、多分恐怖に近いものを感じられるのではないかと想像する。
しかしこの例は、対岸に囲まれた湖状で、古い家屋も水とそう変わらない高さにあり、大丈夫なのかもしれないと思わせた。聞けば、江戸時代以前は川からの水で増水し水害があったので、その後、川側に水門を設け海とつなげて、水位、水利ともに有利にした話もあった。
台風の季節でも、ここまでくれば温帯低気圧に変わるからなのだろうかと想像もしてみた。なるほどと思いながら、ともあれ、そばには高い土地もあり、安心して、舟がすぐ脇に浮いている家並みや、水鳥の降りる姿や朝夕の光や色の変化するゆったりした景色を楽しめた。
対岸の両津の街並みを歩くと、隣と隣に空きがなく、屋根の雨水処理は、お互いの配慮で処理されている例が多くみられ、寄せ合い共に支え合う形に感じられた。
水辺の景色、街並みともに、何かの際に見える安堵感と真の豊かさを感じさせ、都会生活で忘れがちな大事なことを教えてくれた景色であり、その出会いに感謝だ。
(2015年11月08日の過去記事より再掲載)