小池一三のブックリスト・ほぼ10日に1回
第3回
No.3『言葉をもみほぐす』
黒革の手提げ鞄を持って歩いていましたが、このところバックパックを愛用しています。両足の大腿部を骨折し、外を歩くときは杖を用いるため、手をフリーにしておきたいからです。
この鞄に入っているものは、手帳と本と筆記具・書類などですが、結構重くなります。このため鞄の装着に際しては、よいしょと声を発してしまいます。
習い性なのか、そんなふうでも、いつも何冊かの本を入れて歩いています。
最近、ずっと鞄に入れている本は、赤坂憲雄さんと藤原辰史さんによる往復書簡『言葉をもみほぐす』という本です。この本は、岩波書店の読書誌『図書』に2019年8月号から2021年1月号まで18回にわたって連載されたものを単行本にした本ですが、書店に寄ったときにいただき、深い印象を与えられた連載でした。単行本になったことを、やはり『図書』の予告欄で知り買い求めました。それ以来、私のカバンに入っていて、折に触れ開いて読んでいます。
往復書簡集といえば、思い出されるのは『柳田国男 南方熊楠往復書簡集』(平凡社)と、建築家フランク・ロイド・ライトと批評家ルイス・マンフォードの『ライト=マンフォード往復書簡集 1926-1959』(鹿島出版会)です。共に、火花が散るような言葉のやりとりに、ドキドキしながら読んだのでした。
この点でいえば、この本でのお二人のやりとりは、藤原辰史さんの手紙を、赤坂憲雄さんが応えるというかたちで進められ、漂う空気感は静謐なものでした。ライトとマンフォードは、やり取りでの一つの齟齬が十年もの断絶を引き起こしました。いうなら「ガチンコ勝負」の「往復書簡」でした。
藤原辰史さんのことを知ったのは、コロナ禍が起こって早い時期のことでした。信頼する建築環境学者であり、メールを交換している宿谷昌則さんから、あたかも「回状」のように送信されてきました。このレポート『パンデミックを生きる指針—歴史研究のアプローチ』」は、一週間で30万回のアクセスを得ています。これを読んだ私も、何人かの人にこの「回状」を送ったのでした。
このことについて、往復書簡のなかで藤原さんはこう書かれています。
「百年前の地球全体に広まったパンデミックは足かけ三年にわたり続いたこと、三回のピークがあったこと、ウイルスの猛威はとりわけ弱者に向かうこと、『危機は、生活がいつも危機にある人びとにとっては日常である』ことなどについて述べました。」(2020.4.15日の書簡「あとに戻れないならば」)
私はこのレポートによって、起こっている事態が歴史的に俯瞰され、これから起こり得るであろう長い困難へと目が向きました。
この書簡を受けて、赤坂憲雄さんはこう返信されました。
コロナ禍が起きて「東北というフイールドに戻ることを考えはじめた、その出鼻をくじかれ、いまは東京の書斎に籠る日々です。ここもまた静かな知のいくさ場です。」
静謐な二人のやりとりのなかで、突然現れた「知のいくさ場」という言葉に、私はつよく揺さぶられました。
同じように「籠る日々」を過ごしたわたしにとっても、また多くの人にとっても、この往復書簡の期間は、これまで経験したことのない「いくさ」でありましたから。誰もが歴史を生きており、この期間に口にのぼらせた言葉をもみほぐすなら同時代を共に生き、自分について、社会について思索をめぐらせた日々でした。そこに、やりきれない思いに陥った自分が見出されます。
この本の帯に「撤退の時代だから、そこに駒を置く」という言葉が記されていますが、コロナ禍によって、それまで築いてきたものが崩壊していく様を、嫌というほど見てきました。
つまり、誰もが何回かの撤退を余儀なくされました。この本のディレクターは二人のやり取りを見ながら、この二人が、あたかも駒を置くように綴られていると受けとめたのでしょう。
この往復書簡の過程は、どこを読んでもお二人の仕事が繊細に編み込まれています。赤坂憲雄さんの『性食考』(岩波書店、2017年)や、『ナウシカ考 風の谷の黙示録』(岩波書店、2019年)、また、藤原辰史さんの『ナチスのキッチン』(水声社、2012年)や、往復書簡の交換中に著された『農の原理の史的研究』(創元社、2021年)などを読んでいたこともあり実にスリリングでした。
この往復書簡だけでなく、お二人がこの間に出されている何冊もの本を通じて、その一冊一冊が揺るぎない「駒」になっていることを知っている人にとって、それは自然にうなづける分目立ったように思われます。
お二人のやりとりの一通ごとに、新井卓さんの銀板写真が挿し込まれていて、それが利いていて、わたしの読書人生にとって得難い一冊となりました。