小池一三のブックリスト・ほぼ10日に1回

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No.2『都市という廃墟』

松山巖:著
新潮社 or『都市という廃墟―二つの戦後と三島由紀夫』(ちくま文庫)


単行本は1988年。文庫本は、単行本から5年後の1993年に発行されました。両者の違いは、文庫本は解説文がついているのに対して単行本にはないことで、この解説は「戦後という無意識」と題して養老孟司が書いています。

養老さんは、この書物は「都市論でもあり、戦後論でもあり、三島を中心とする文学論でもある。仮に一章でも読んでいただければ、そのことがただちに理解されるであろう」と書いておられ、12章からなる訪問記のどの章も、この3つの論点を含み込まれています。

都市論と戦後論は、容易に結びつきますが、社会派といえない美学派の三島由紀夫の小説とこれらを結びつけている点に、奇異な思いと、読後のなるほどという納得に、この筆者の並々ならぬ才能に気づいたのでした。

この本は、発行当時、建築家の永田昌民さんに薦められて読みました。松山さんに初めてお会いしたのは、浜名湖岸に「地球のたまご」を建てた直後で、永田さんと一緒に来られました。見学していただいた後に食事を共にし、ご自身が生まれ育った愛宕山下にある住宅が、品川に建った高層建築のため海風が来なくなったことを怒っておられました。

松山さんの家は、江戸時代から愛宕山下で石屋を営んでおられた家で、向田邦子がシナリオを書き、久世光彦が演出し、石屋の融通の利かない親父を森繁久彌が演じたドラマそっくりの家だったようです。私は、TBSテレビにより全国配信された折、松山さんの顔を浮かべながら見たのでした。

そんな松山さんが訪ねた場所は、芦屋浜空中公園、原宿的気配、八王子遷都、神の花嫁たちの家、平和な団地の隣人たち、札幌市営団地の餓死、聖地ディズニーランド、筑波ポストモダン、摺上(すりかみ)川の無人小屋、湾岸ヤッピー・カルチャー、鹿島灘のミニ別荘、富士山麓他界めぐりなどの12ヶ所です。

これらの場所で起きた殺人事件や自殺の多発、新興宗教の顛末などの事件が描かれていて、例えば、“学園都市”筑波では自殺者が増えおり、限り無く病院に似た八王子の大学群や、札幌市営団地では餓死する主婦が増えており、それらを三島由紀夫の文学によってメスを入れ、解読する仕立てになっています。

それは、一編一編、それぞれ見事な現代論になっていて、現代は、絶えずアクチュアルな訳なので、著者の本において遡れば『肌寒き島国「近代日本の夢」を歩く』(朝日新聞社・刊)へと、そして時代を下れば『住み家殺人事件-建築論ノート』みすず書房)にと、さらにはコロナ禍の今をも照射し、透視するのです。

この解読のメスは、山田風太郎や夢野久作、ときに詩人の金子光晴、純文学では藤枝静男や石川淳であったりして、いうならこれらの文学のプリズムを用いて、屈折する世界を活写している、というふうです。

筆者は、かの須賀敦子に刮目した人であり、愛着を籠めた一編『須賀敦子が歩いた道』(新潮社・とんぼの本)を著しています。また、建築を目指す人に、是非とも読んでもらいたい基礎教養本といえる『建築はほほえむ』(西田書店・刊)においてさえ、建築を語りながら、20世紀文明に対する批判と希望が語られており、狭い建築の世界にいるものを、変動し変化する現実へと目を向けさせてくれます。

新しい建築は、例えばコンクリートの冷たい建物であっても、その時々においては、おしゃれで目新しいものに映ります。そこで惹起されたアクシデントによって、また見飽きるにしたがって、やがてスクラップ・アンドビルドされる酷薄を書かれるです。今、猛烈な勢いで建っている超高層マンションへの憧れも、実に儚いものであることを、松山巖はしかと見通しているのです。

しかし彼が見た廃墟は、都市においてだけでなく、広い道路がつくられ、そこにロード・ショップや、白い外壁の建売住宅が(おびただ)しく建てられている今を見るとき、現代人は、どうしてそんなに生き急ぐのだ、といっているような気がしてなりません。

著者について

小池一三

小池一三こいけ・いちぞう
1946年京都市生まれ。一般社団法人町の工務店ネット代表/手の物語有限会社代表取締役。住まいマガジン「びお」編集人。1987年にOMソーラー協会を設立し、パッシブソーラーの普及に尽力。その功績により、「愛・地球博」で「地球を愛する世界の100人」に選ばれる。「近くの山の木で家をつくる運動」の提唱者・宣言起草者として知られる。雑誌『チルチンびと』『住む。』などを創刊し、編集人を務める。