びおの珠玉記事
第159回
啓蟄・身近な春を探しに行こう。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2014年03月01日の過去記事より再掲載)
今日から二十四節気の「啓蟄」です。
土の中で冬を越していた虫が穴から出てくる様をいいます。
「啓」は、ひらくこと、「蟄」は、土中で冬を越す虫のことで、虫が春を感じて這い出してくる、ということです。
「春」には、その暖かさからか、やわらかいイメージ、明るいイメージが想起されます。
「青春」は、若く元気な時代を人生における春に例えています。思いのままになる絶頂期のことを「我が世の春」などと読んだりもします。対して冬は逆のイメージで、これが「青冬」だったり「我が世の冬」だったりすると、やっぱり暗いイメージになってしまいますね。
生き物が活発になり、エネルギーに満ちた春。
野山で春を探してみました。
春っていつから?
暦の上の春は、2月4日の立春から始まり、立夏の前日までが春とされています。
現行の太陽暦では3月から5月を春としています。
図は、気象庁発表の1971年から2000年までの平均気温です。
北海道ではほぼ全域で0℃以下なのに対して、西日本の太平洋側を中心に比較的高い温度となり、沖縄では一部18℃を超えています。同じ国・同じ時期でも20℃近い気温の差がありますから、季節感が一様にはならないのも当然かもしれません。
産経新聞1面のコラムで、(元)東京都知事の石原慎太郎氏が、「正確な二十四節気を」と訴えていました。
この意見でも触れられていますが、3月3日の桃の節句も、新暦にあてはめると今年なら4月16日となります。
七十二候はもともと中国で編まれたもので、さらに旧暦から新暦への切り替えによって、季節感が伴わないものがあるのは事実です。とはいえ、桃の節句が4月16日だといわれても、なんだかかえって戸惑ってしまうかもしれません。
新しい二十四節気を考えるとしたら、果たしてどんなものになるのでしょうか。
土中に広がる小宇宙
虫嫌いの人には、春になり、虫が動き出すことは、ちっとも嬉しくないかもしれません。
でも、土中の虫や微生物は、地球全体の生命活動に、非常に大きな役割を果たしているのです。
ナショナルジオグラフィック日本語版の2010年2月号「小さな世界の豊かな生態系」では、30センチ四方の立方体の中にどれだけの生き物がいるか、という特集をしています。
この特集には以下のような一節があります。
地面をはいまわる虫は、気持ち悪い存在にしか思えないかもしれない。だが、それらも含めた生物すべてとその多様性が、私たちには不可欠なのだ。それほど重要な存在なのに、私たちは地表にすむ生物のことを驚くほど理解していない。
土は、ただの無機物ではなく、泥や石の隙間に、虫や菌が無数に住んでいる世界です。こうした虫や菌がいなくなってしまえば、土は痩せ、植物も育ちません。気持ち悪い、関係ない、と思う土中の虫がいるからこそ、地球の生命が成立しているといってもいいでしょう。
「沈黙の春」から半世紀
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が出版されてから、もうじき50年です。
「沈黙の春」は、農薬などの化学物質の影響により、虫が消え、それを餌にしている鳥も消え、鳥の鳴き声の聞こえない春が訪れる、という訴えです。
幸い、まだ鳥の鳴き声は聞こえ、虫も見られます。でも、その種類や範囲は確実に減っているのが実感です。
カーソンが50年前に指摘したことは、改善されたものもあれば、されなかったものもあるでしょう。農薬に限らず、生物の生活を脅かすものは多々あります。
環境省のレッドリストによると、日本では3155種が絶滅のおそれのある種とされています。
政府が3月1日に掲げた「生物多様性国家戦略」の改定案で、2020年までに絶滅の恐れがある種の維持・回復を図るとし、2050年までに生物多様性を現状以上に豊かにするとしています。「生物多様性国家戦略」で期限を定めた具体的目標が提示されるのははじめてで、今年10月に名古屋で開かれる第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)を睨んでのことです。
近所に春を探しに行く
さて、春がどのあたりまで来ているか、近所を散策してみました。
3月の二日間、朝方と午後にわけて、同じところを回ってみました。たった一日違うだけでも、自然は少し違う表情を見せてくれます。暖かい時間とそうでない時間でも、生き物の動きが違うように思えます。
春探しというと、食いしん坊の「びお」としては、山菜や筍をとろう、という話に持っていきたいのはヤマヤマですが、今回は、出来るだけ自然にインパクトを与えず、ただ見るだけの春探しです。途中、いくつか石を裏返したりしてしまいましたが、出来ればそれも最小限に。
写真ではお伝えできませんが、鳥の鳴き声や、川のせせらぎなど、春にはなんだか嬉しくさせてくれることがいっぱいですね。
さて、以下はご近所探訪の写真。虫も出てきます。虫嫌いの方は、要注意。
写真が撮れませんでしたが、リスや蛙などの小動物、その他の鳥にも会えました。鳴き声や茂みからの音に耳を済ましてみることも、普段とはまったくちがう神経が使われる心地よさがありました。ただし、結構な割合の外来種がいることも事実でした。
過去には、冬に失われた生命が春に蘇る、という考えがあったのでしょう。春が1年の先頭に来ているのも、そこから来ているように思えます。
「啓蟄」とはいえ、土の中からどんどん虫が出てくるようなシーンには、幸い(?)出会いませんでした。ここでいう「虫」は、おそらく昆虫やその他の節足動物ばかりを指すのではなく、カエルやヘビといった小動物も含んでいるのではないでしょうか。カエルもヘビも、漢字では「蛙」「蛇」と、どちらも虫偏がつきます。土の中で冬を越す種類もあり、きっとそういうものも含めていたのだろうなと実感しました。
自然界では、厳しい冬を乗り越えて、暖かくなってくるとさまざまな準備がはじまります。冬を乗り越えられない個体もあるでしょう。春にさっそく捕食されてしまう生き物もいるでしょう。
でも、冬も春も関係なくいろいろなことに追われている私たち人間よりも、「種」としてみたら、幸せなのかもしれないな、と感じてしまいました。
春はあたり前のようにやってきますが、ただカレンダーの日付が春になった、というのではなく、春が訪れて、自然界が喜んでいることを自分も感じられたら、毎日がちょっと楽しくなる、と改めて思った「春探し」でした。