まちの中の建築スケッチ

81

求道会館
——住宅街の集会場——

求道会館

東京大学の正門に近い、本郷の求道会館は、近角常観ちかずみ じょうかん(1870-1941)が建てた、武田五一ごいち(1872-1938)設計による、1915年竣工の浄土真宗の教会堂である。戦中・戦後、50年ほど使われずにいたものが、東京都の有形文化財指定に認定され、2002年には戸田建設による6年にわたる大規模で難しい修復工事の末、復帰した。大規模修繕の設計者で施主でもある、常観の孫の近角眞一(1947-)は、大学の同級生ということもあり、すでに、クラス会や友人の偲ぶ会などで、集会の場として何度か利用させていただいている。

今般、筆者が特別顧問をさせていただいているASDO(東京構造設計事務所協会)の年次総会後、近角による講演会が求道会館で開催された。近角常観と武田吾一の出会いに始まり、常観が、ヨーロッパの教会やアメリカのYMCAの建物を見て、日本にもそのような教会堂を建てたいとの思いを持ち実現させたという。構造についても、関東大震災で被災した後の修復、50年間使われなかったことによる傷み、一部を鉄筋コンクリート壁に補強したり、正面のタイルの原形復帰のこと、屋根の木造トラスは、ほとんどが100年前の材であるなど、興味深い物語を聞くことができた。

後日、梅雨の合間を縫ってスケッチに訪れた。正面側が、けっこう大きな駐車場になっていた。今までは、求道会館を目当てに来ていたこともあってか、気づかなかった。しかも正面にむけて駐車場内の通路となっていて、少し引いた位置から会館が見られる。裏手には求道学舎があって、こちらも求道会館の後に、やはり大規模修繕の上、今は、コーポラティブ・ハウスの11戸の集合住宅として蘇っている。庭の大きなヒマラヤ杉が会館の背景になっている。両隣も、低層の集合住宅であり、教会堂のスケールがしっくり来ている。駐車場も良いが、教会堂前の広場のようになると、もっとまちにとっても良いのにと思った。どなたか存じ上げないが地主としては、駐車場の売り上げで固定資産税を払って若干の収入があるのかも知れないが、公の広場にするのであれば、固定資産税を免除するとか、自治体としての施策があって良いかもしれないなどと空想を巡らす。

浄土真宗は、筆者も親から引き継いでいるのであるが、両親が他界してから、お世話になっている地元の西光寺で、年に数回行われる法話会に参加している。近角常観は、全国で法話をされていたようである。門井慶喜かどい よしのぶの「銀河鉄道の父」に、宮沢賢治の父、政次郎が、花巻の大澤温泉で何度も開催した法話会に、近角常観も来たという一節を見つけた。ということは、宮沢賢治も、近角常観の話を聴いていたということになる。キリスト教だと、毎日曜日に教会で牧師さんの話を聴く。仏教では、そのような機会は少ないが、法話会のような催しは悪くないと思っている。老年になったからということかも知れない。人として生きていることの意味が、他人の話を聴くこと、そのことに対して自分なりに思いを感じることだと、折につけ思うようになった。そうしたときに、珍しい教会堂である求道会館が、近角常観が意図したことと少し外れるかもしれないが、誰かが話をする、それを聞く人が集まる建築として、住宅街の中にあることが、とても魅力的に見えてきた。