まちの中の建築スケッチ

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旧筑波第一小学校体育館
——筑波山麓の木造建築——

旧筑波第一小学校体育館

木造建築は、鉄筋コンクリート造や鉄骨造に比べて、骨組み架構がそのまま見られることが多い。それでも、あえて筑波第一小学校体育館の木組みを、コンピュータ・グラフィックで表現し、「建築構造パースペクティブ」(日本建築学会1994年)に取り上げたのは、筆者が編集委員をしていた30年以上前のことである。構造設計の増田一眞(1934-2023)は、伝統木構造の伝道師ともいえる先達であり、その時が初めての出会いだったと思うが、この構造の要点を書き残してもらっている。保育園など類似の作品は少なくなく、その中では初期のものである。設計者の下山真司(1937-2018)もすでに鬼籍に入っている。東京大学の学生時代には、建築計画研究室の助手として設計をご指導いただいた。当時建設中だった工学部11号館の彼の設計はアルバー・アールト風であったが、木造の作品も多く手掛けていることは後から知った。

筑波には、筑波大学や建築研究所があり、何度も訪れていたが、気になりつつも、増田一眞の生前に訪れることなく、日が経ってしまっていた。地図で場所を確認し、もしや解体されてはいまいかと一抹の不安も持ちながら、我が家から100kmの道を車で、約2時間でたどり着いた。筑波山神社の大鳥居を過ぎると、県道42号線からも、ちらりと屋根が見える。車で近づけそうな道がみつからず、歩いて向かった。傾斜地に建つ小学校は廃校になっており、校舎の一番奥にある。草が生い茂る中で見え隠れする体育館に向かうと、黒みがかった板張りの壁が現れる。南斜面に対して、床下は懸崖造りになっている。伝統木構造ならではの立体格子だ。入口は、北側の軒下を辿るとガラス戸になっているので、中も南側のベランダまで様子が見える。体育館としてまだ現役である。案内板もなければ、南側は特に一面の草木が生繁っており、催し物に使うのもアプローチが大変だろうと想像した。

西側は広くはないが、県道からの細い進入路も見つかり、その途中から、スケッチすることとした。渋いグレーのカラーステンレスの切妻屋根は輝いている。軒先周辺は平葺きで、中央部分が梁も重ねて厚みを出して、瓦棒葺かわらぼうぶきになっている。多少波打っているようにも見えたが、大きな切妻の屋根面は実にシャープである。

周辺には、筑波山登山のためと思われるが大きなホテルがいくつか建っている。平日ということもあり、人はあまり見かけなかった。小学校が廃校になったということは、御多分に漏れず若年人口が減っているということなのだろう。すばらしい体育館が残されている。貴重な大きな空間でもある。観光と組み合わせてでも、さらなる活用が図れないものかと思った。

今まで構造骨組みのコンピュータ・グラフィックだけを眺めて想像していたので、草木に覆われ、全景がどこからも見られない状況は、潜在的な建築のポテンシャルが自然の中に埋もれている現実でもあった。

短い時間であったが、こうして増田一眞、下山真司を偲ぶことができた。また、何かの機会に訪れることがあるだろうか。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。