びおの珠玉記事

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今、墓石に異変が起きているのを、 ご存知ですか?

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2008年09月23日の過去記事より再掲載)

墓参り

イラスト:小野寺光子


お盆やお彼岸、年末年始は家族でお墓参りという方も多いと思います。

秋川雅史が歌う「千の風になって」が、ロングヒットを続けていました。

「私のお墓の前で泣かないで下さい/そこに私はいません、眠ってなんかいません/ 千の風に、千の風になって/あの大きな空を、吹きわたっています」(作詞/新井満)

自分は墓のなかにいるのではなくて、千の風になって大きな空を吹きわたっている、だから泣かないでというのは、やさしさの極みであって、深い感銘を誰もが覚えます。
けれども、ひねくれていうのではありませんが、お墓はその場合、どういう存在なのでしょうか。そこに私はいません、と素っ気なく扱われているのですから……。

亡くなった人を追憶する上で、お墓はメインスターでした。何といっても、そこに亡骸が眠っているのですから。けれども、この歌を聴いて思うこことは、そこに亡骸が眠っているというお墓という存在の、この絶対的意味の喪失です。

これまでのお墓は○○家之墓とか、戒名を刻むのがふつうでした。ところが最近、愛・平和・ありがとう・あなたと共に・温故知新・海とかの文字であったり、カタチも横長であったり、ピラミッド状のものがあったりします。バイク・ピアノ・ギター・コンピュータを模したものもあって、「あの人は死してなお、オタクだった」と思われたなら、死者は本望でありましょう。

最近の墓地は、もう遊園地状態といっていいのかも知れません。墓地全体も奇妙に明るいのです。これはどうなったのだ、というのが最初の衝撃でしたが、「○○家之墓」は、考えてみれば死んだ後まで「家」に縛られるわけで、この自由さは、それだけ死生観が成熟した現れなのかも知れません。

根本的には、少子化・核家族化が進み、お墓の継承、相続上の問題が横たわっているようです。最近、ひとりっ子同士の結婚は少なくありません。この場合、現役のうちは夫婦別姓でいいのですが、お墓は一つであり、どちらの姓を刻むかは微妙です。どちらも使いたくないとなれば、「愛」とか「海」とかにして、揉めないようにするのが一つの知恵です。

いずれにしても、「家」という意識が希薄になりました。

墓地

今はお墓の変動期。
新しいスタンダードは生まれるのか?

家族制度の変化が、お墓の形態を変えつつありますが、このままバラバラな状態がいつまでも続くのでしょうか。ある文明批評家が、今の墓地は、派手さを競うカーホテル街の建物を小さくしたようなものだと皮肉りました。キツイ批評です。たしかに混乱しています。

びお編集部は、この混乱は、変動期にありがちな状態とみています。今は「家」からの呪縛から解き放たれ、まるで天井が抜けてしまったがように、まあ、やりたい放題の状態です。しかし、あるところまで行くと揺り戻しが起きるのではないでしょうか。

今の過剰なまでのデザインは、バブルっぽいし、何でもありの状態は、かえって死者への思いを疎外します。眠っている場で大騒ぎするのはどうかということになり、今の過剰を厭う空気が、やがて美しいものへと還ると思うのです。

誰がそのカタチを生むのか。思いつくのは彫刻家ですが、多数者はお墓に複雑を好みません。後で紹介する北欧スウェーデンの世界遺産、アスプルンドが設計した「森の墓地」の墓石の一つ一つはシンプルです。宗教が一つというのも大きいと思われますが、今の日本のように、墓に個性を求めるのは現世的過ぎて、そう長続きしないでしょう。

死者はゆっくりと眠れて、墓前に就く人の長い好みに応えられる、ふつうに美しい墓石を生むのは建築家ではないか、とわたしたちは考えました。そういう自覚を建築家に持って欲しいのです。

戦後のある時期までは、いろいろな建築家が墓石・碑石の設計を行っています。それは政治家や作家の墓石、碑石であったりしましたが、ここで望みたいのは、シンプルで美しく、日本のこれからのスタンダードな墓石デザインです。

そんな珠玉のお墓と、墓地の例として、ここに二つの例をご紹介しておきます。

地中海をのぞむル・コルビュジエのお墓

ル・コルビュジエ 全作品ガイドブック

ル・コルビュジエ 全作品ガイドブック
丸善
Deborah Gans/著 加藤 道夫/翻訳


一つは、建築家ル・コルビュジエのお墓です。

このお墓は、フランスのニースから東に20キロ、モナコを過ぎ、カップ・マルタンの海を見下ろすロクブリュヌの丘の上に立っています。コルビュジエと、その妻イヴォンヌの墓です。カップ・マルタンは、コルビュジエが晩年、妻イヴォンヌのために建てた、小さな休暇小屋を建てた場所でもあって、今でもこの家はあります。方丈庵を思わせる、ほんとうに小さな建物です。

スイスのレマン湖の畔に、有名な「小さな家」がありますが、この建物も16坪の小さな家です。コルビュジェが、自分と自分の家族のために建てた住宅は、生涯、この二軒だけでした。
コルビュジエのお墓は、単純な白い四角いかたまりです。とてもシンプルです。しかし、よく見ると斜面の組合せで出来ていて、ちゃんとデザインされています。

二人の名前の入った石は、赤、黄色、青のあざやかな色が塗られています。日本人には、かなり派手なものですが、地中海の太陽と海の色に似合っていて、妻イヴォンヌの朗らかな性格をよく表わしています。この墓の隣に植物が植えられた円筒形があります。意志のある四角と、曲線と自然でできた円筒形の組み合わせは、この夫婦の関係を物語っているように思われます。

アスプルンドの森の墓地

アスプルンドの建築

アスプルンドの建築 1885‐1940
TOTO出版
吉村行雄/写真 川島洋一/文


建築家がつくった墓地といえば、世界遺産にもなっているエーリック・グンナール・アスプルンドが設計した「森の墓地」が有名です。20世紀以降の建築としては、世界遺産登録第1号でした。この設計は、スウェーデンのストックホルム南基地設計のコンペに応募し、一等賞を受賞したものです。自然が優位にあること、敷地の森林には手をつけないこと、建物はひっそりと佇んでいればいいこと。アスプルンドの設計は、実に明快なものでした。

私生活では、アスプルンド34歳の年に子どもが亡くなり、奥さんはそれを機会に精神的に病み、それから間もなく離婚します。そして55歳という若さで、心臓発作のため逝去します。埋葬されたのは、アスプルンドが30年以上の歳月をかけた「森の墓地」でした。この墓地の墓は、どれもシンプルで、墓地全体が清潔で、静謐が支配しています。

こちらをみると、「オタクの墓」はどうなんだろう、と考え込んでしまいますが、段々と日本の墓もいい線に落ち着いて行くように思われます。

「びお」が選んだ「お墓」リンク

世界恩人墓巡礼
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/haka-con.htm
「彫刻、建築、写真家他」のお墓のコーナーがあります。