びおの珠玉記事
第190回
レモン
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2013年12月02日の過去記事より再掲載)
七十二候は橘始黄。柑橘類であるレモンが緑から黄色に色づいてくるのが、ちょうど今頃です。
販売されているレモンのほとんどは輸入品ですが、国産レモンは、ちょうど今ごろが旬で、緑色のものから黄色いものに変わりつつあります。
国産レモンの半分は広島県で、四分の一は愛媛県で作られていて、この二県でおよそ四分の三を生産しています。他には和歌山、熊本といった温暖な地域で生産されています。
レモンは、もともとはインド北部の原産と言われています。
メソポタミアを経由してアラブ、パレスチナ、エジプトに伝わり、十字軍の兵士によってヨーロッパに持ち帰られます。アメリカ大陸にはコロンブスによって伝えられ、やがて西海岸に伝わりました。日本に入ってくる輸入レモンの多くが、アメリカ西海岸産のものです。
レモンの栄養
レモンには健康的なイメージがあります。温暖な地域で太陽をいっぱいあびて育つからでしょうか。実際に、レモンの効果としては、多く含まれるビタミンCの働きによる免疫力の向上やがん予防、抗酸化作用、美肌、コレステロール値の正常化、等々、たくさんの効果があるとされています。
また、レモンのpHはお酢よりもさらに低いため、食中毒予防の効果も期待できます。
レモンの強い酸味は、クエン酸によるものですが、このクエン酸は疲労回復効果があります。筋肉は運動時にグリコーゲンを使い、その結果乳酸がつくられます。この乳酸が疲労の原因となります。クエン酸には乳酸を減少させる働きがあり、ブドウ糖とあわせて摂取することで、より効果があることがわかっています。
学生時代に運動部だった人は、レモンのはちみつ漬けを作ったり、もらったりした経験があるのではないでしょうか? アレは運動後に食べると妙に美味しいのですが、カラダにもよく理にかなった食べ物だったのです。
レモンは酸っぱいからこそ価値があります。果物の甘さ・酸っぱさを表す指標に「糖酸比」という値があります。
糖と酸の含有量の比率で、大きいほど甘く、小さいほど酸味を感じるようになる指標です。
レモンの糖酸比は0.4程度。他の果物を見てみると、ブドウは30、ミカンが11ぐらい。イチゴは10程度。酸っぱいように感じるグレープフルーツも、6〜9程度と、レモンがいかに酸っぱいのかがわかります。通常の果物では、糖酸比が大きいほうが甘くて喜ばれるのですが、ことレモンに関しては逆のほうが尊ばれるわけで、なんだか変わった果物です。
芸術作品とレモン
ポール・セザンヌはリンゴを数多く描いています。その理由は、「リンゴのような家に住んでいたから」ではなくて、小説家であり、後に断交する友人、エミール・ゾラとの間でリンゴが需要な役割を果たしていたから、と言われています。
リンゴが多いセザンヌの絵ですが、対比するようにレモンを描いたものもあります。
セザンヌに影響された芸術家は日本にも多く、それらの作品にレモンが登場するのは、セザンヌの影響があるのでしょうか。
梶井基次郎の代表作『檸檬』は、20代前半に発表され、31歳で没する前年に刊行されました。
梶井は一時期ペンネームを「瀬山極」としていたことからもわかるようにセザンヌの影響を受けています。
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――
こうした書き出しで始まる、『檸檬』は、鬱々とした日々を送る中、檸檬の冴えかかった色、熱のある身体に快い冷たさ、そして重さはすべての善いもの、美しいものを換算した重さ、産地のカリフォルニヤが想像されるにおい。
檸檬が訴えかける感覚で、「私」は人らしさを取り戻しながら、その檸檬を爆弾とみたてて、奇怪な悪漢となりながら爽やかに結ばれています。
いや、『檸檬』は爽やかではない、という人もいるでしょう。
まあ、いろんな読み方をする人がいます。そこがこの作品の魅力です。読み返すたびに、なんだか違うことが思い浮かびます。
先に行われた朝日新聞の「どくしょ甲子園」では、『檸檬』を題材にした作品が最優秀賞を獲得しています。
なるほどねえ〜。
彫刻家・高村光太郎は、妻・智恵子を看取る描写を『レモン哀歌』に綴っています。
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパァズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光つレモンを今日も置かう
智恵子はセザンヌに傾倒していました。それだからというわけではないでしょうけれど、「レモン哀歌」で描かれるレモンの描写はまた鮮烈です。
『智恵子抄 』の中の一篇であるレモン哀歌は、今はその名を関した詩集として編まれたものが出版されています。