びおの珠玉記事
第191回
一坪里山をつくろう!
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2010年06月11日の過去記事より再掲載)
リビングの前のデッキにつくった「一坪里山」です。草花の表情が手に取るように分かります。この「一坪里山」には自生種の草花が植えられています。小さな池もあります。池にはメダカが泳いでいます。小鳥や蝶々がやってきて、秋にはトンボが顔を見せます。この生命ワールドを、あなたもつくってみませんか。
博多町家樹の図鑑
「一坪里山」の考え方を基本に植えられた、120種を超える“博多町家”の樹々たちです。名前とともに、一部、その姿を写真でご紹介します。春夏秋冬を重ね、日々成長を続ける緑。
常緑(29種)
アセビ(馬酔木)/アラカシ(粗樫)/イスノキ(蚊母樹)/イヌツゲ(犬黄楊)/ウラジロガシ(裏白樫)/クスノキ(楠)/クチナシ(梔子)/クロガネモチ(黒鉄黐)/コジイ(小椎)/シキミ(樒)/ソヨゴ(冬青)/タブノキ(椨の木)/タラヨウ(多羅葉)/ナナミノキ(七実の木)/ネズミモチ(鼠黐)/ヒサカキ([木偏に礼]・姫榊、非榊とも)/ヤブニッケイ(藪肉桂)/ユズリハ(譲葉)
落葉(36種)
アワブキ(泡吹)/イヌビワ(犬枇杷)/ウリハダカエデ(瓜膚楓)/カマツカ(鎌柄)/キハダ(黄膚)/キブシ(木五倍子)/クリ(栗)/コゴメウツギ(小米空木)/シャシャンボ(小小坊)/シロドウダン(白灯台)/タンナサワフタギ(耽羅沢蓋木)/チシャノキ(萵苣の木)/チドリノキ(千鳥の木)/ツノハシバミ(角榛)/ツリバナ(吊花)/ハギ(萩)/ハナイカダ(花筏)/ベニドウダン(紅灯台)/マルバアオダモ(丸葉青梻)/ムラサキシキブ(紫式部)/ヤマブキ(山吹)
アオハダ(青膚)/アブラチャン(油瀝青)/イヌビワ(犬枇杷)/ウメモドキ(梅擬)/オトコヨウゾメ(男杳染)/カマツカ(鎌柄)/コマユミ(小檀)/サカキ(榊)/サンショウ(山椒)/シャシャンボ(小小坊)/シロモジ(白文字)/センリョウ(千両)/タマアジサイ(玉紫陽花)/タラヨウ(多羅葉)/ナツハゼ(夏櫨)/ニシキギ(錦木)/ノリウツギ(糊空木)/バイカウツギ(梅花空木)/ハナイカダ(花筏)/マユミ(檀)/ヤマアジサイ(山紫陽花)/ヤマハゼ(山黄櫨)/ヤマコウバシ(山香し)/ユキヤナギ(雪柳)/ユズリハ(譲葉)
アラカシ(粗樫)/イチイガシ(一位樫)/クロガネモチ(黒鉄黐)/コジイ(小椎)/サカキ(榊)/シロダモ(白梻)/ソヨゴ(冬青)/ネズミモチ(鼠黐)/モチノキ(黐の木)/ヤブツバキ(藪椿)
イタビカズラ(薜茘葛)/キヅタ(木蔦)/コバギボウシ(小葉擬宝珠)/ツルコウジ(蔓柑子)/テイカカズラ(定家葛)/ノシバ(野芝)/アゼターフ(あぜ道の植生マット)
ランドスケープ設計/田瀬理夫(プランタゴ)
地域の自生種に目を向ける
「一坪里山」で、一番大切にしていることは、その地域に自生している草花を植えて、育てることです。ということは、その地域にどんな自生種があるのか、調べなければならず、それを「株分け」して貰う必要があります。
問題は、園芸店も植木屋さんも扱っていないことで、どうやって見つけたらいいか、そこが最初のハードルです。
そこで、各地の自生種の草花が置かれた事情について、少しだけ解説しておきます。
環境省が発行している「植物レッドデータブック」によれば、現在、1665種類の絶滅危惧植物がリストアップされています。
兵庫県の工務店が調べてみたら、同県の2003年の調査では785種類だったものが、2010年の調査では946種類に増えました。この7年間で161種類も増えたのです。激減と言ってよいでしょう。
福岡県に生息している自生種は117種類に過ぎず、580種類が絶滅危惧植物にリストアップされています。
その中には、かつて福岡の水田にふつうに見られたナンゴクデンジソウも含まれています。四葉のクローバーのような葉をつける、水生シダの一種です。その葉の形が「田」の字に見えることから「田字草」の名がついています。福岡の工務店は、この水草を池で育てています。
生物多様性とは何なのか?
今年(2010)10月に「COP10(Conference of the Parties/生物多様性条約締結国会議)が名古屋で開催されます。
「生物多様性」とは、多種にわたる生物種と、それによって成り立つ生態系の豊かに、バランスが保たれている状態を言います。
地球上には、自然林や里山林・人工林などの森林、湿原、河川、サンゴ礁など、さまざまな環境があります。地球上の生き物は、およそ40億年もの地球の進化の中で、環境に適応することで、多様に分化しました。
生息する地域によって、体の形や行動などに少しずつ違いがあります。「遺伝子の多様性」と呼ばれています。
自然が創り出した、この多様な生物の世界を総称して「生物多様性」と言うのです。つまり「生物多様性」とは、その土地に自生していたものを、しっかり保存することが基本なのです。
ある草花が絶滅すると生態系そのものが脅かされます。福岡に自生するナンゴクデンジソウに、鮮やかな水色の体色のカワセミがやってきましたが、そのカワセミを最近見掛けなくなったと思ったら、この水草が消えていたそうです。
春の七草も、秋の七草も、櫛の歯が欠けるように身近な環境から失われて行っています。それはそのまま、私たちの身近な環境の劣化を意味しないでしょうか。
ランドスケープの設計者として知られる田瀬理夫(プランタゴ)さんは、このようなことは、ここ30年来のことで、除草剤が大量に散布されるようになってからのことだといいます。
そして、日本中に外来種の草がはびこるようになりました。何千年の歴史をかけて生成されたものが、あっという間に変わってしまったのです。
田瀬さんによれば、外来種の緑は濃くて、在来種の色とは異なるそうで、それは広い野原でみると、よく分かるそうです。
そのことは、日本古来の野原の色が失われていることを意味します。日本人の色彩感覚のDNAに狂いをもたらすことになります。
草木染(野山染)の色に懐かしさを呼び起こされるのは、ほんらいの日本の色だからです。最近の若い人は、外来種の濃い緑しか知らないので、そういう感慨さえ起こらないのかも知れません。これはまことに深刻なことです。
自生種の救済は、家の庭しかない!
野草は、除草剤を使っている田畑に育ちません。道も川もコンクリート化が進んでいます。各地の市民公園には、いろいろな草花が植えられていますが、その地域の自生種の草花ではありません。道路の分離帯など、空き地という空き地は外来種に支配されています。
どの自治体も「緑を大切に」というキャンペーンを張っていますが、その「緑」は、全国に流通される大量に栽培されたものです。
真に自生種の樹木や草花を残す道は、現実問題、もう各個(戸)の庭しか残されていないのでは、と田瀬さんはいいます。
たとえば、建築専門誌が組む「緑の特集」号に掲載されているリストのほとんどは、この流通する「緑一般」であって、地域性は省みられていません。それがこの国の緑の状況です。
各戸が「一坪里山」をつくることで期待できるのは、一番大切なお手入れです。せっせと自生株を育てるのは手が掛かります。外来種がはびこったら草刈りしなければなりません。そのようなきめ細かなことは、行政はやりません。しかし、各戸の住人が野草に目覚めたら、それを育てることは歓びに変わります。
リビングの前のデッキで、せっせと育てた草花を庭に移し、そうしてたくさん育ったら「株分け」し合って地域に広めるのです。
この取り組みでいいのは、今のところ、あまりお金が掛からないことです。貴重種の昆虫には、とてつもない高値がついていますが、まだ野草の世界はそんなふうではありません。自生種の樹木も、古い神社や仏閣に足を延ばして、巨木から実生を拾い、それを小鉢に入れておくと芽を出してくれます。
野に満つる草は地球の香り
宇宙飛行士の若田光一さんが、137日ぶりに地球に戻ってきて、ハッチを開いて感じたのは「地球の草の香りだった」といいました。
そうなのです、野に満つる草は地球の香りなのです。今のところ、地球以外に草が咲いている星は、見つかっていません。自生する草も樹木も、われわれの命そのものを表しています。
「5×緑」の手法を用いて「一坪里山」をつくる
「5×緑(ごばいみどり)」とは、土木工事の世界で< フトンカゴ(GABION)>と呼ばれる金網でつくった直方体のカゴのなかに人工土壌「アクアソイル」を入れ、植栽をほどこしたものです。
上部のみの一面緑化ではなく、4側面も緑化できるようになっていています。
この「5x緑」の手法を用いた一坪里山が、田瀬さんの監修のもと、各地に作られています。
一坪里山に用いる植物の栽培は、どの地域でも行われているわけではありません。育てられていない地域では、それを見つけ出し、移植して育てなければなりません。
これを進めるためには、正しい知識が必要です。町の工務店ネットは、「5×緑」と提携し、田瀬理夫さんを講師にして勉強会を開くことになりました。家だけでなく、「野草に目覚めよ!」ということで「一坪里山」に取り組みます。
(2010年4月号 NO.71)より 小池一三
生物多様性を巡る思想と活動
「生物多様性とは、その地域に
「あるべきもの」が「ある」状態をいう
遠野にて
QMCHのすぐ近くに、遠野市附牛馬(という名前の村)に、馬の守護神とされる「おこま様 (駒形大神)」が祀る駒形神社がある。鬱蒼とした木立のなかにあり、その境内に馬留りがあって、例祭が開かれる時、馬はそこに繋がれる。古くは沿岸や内陸からも信者が大勢集まったという。
附馬牛のことは、柳田國男の『遠野物語』にひんぱんに出てくる。
「附馬牛の谷へ越ゆれば早池峯の山は淡く霞み山の形は菅笠の如く又片仮名のへの字に似たり」
附馬牛は、早池峰山の裾野にある。附馬牛から荒川牧場は近く、この牧場から見る早池峰山の山容は美しい。附馬牛は、遠野の中でも自然の濃い地域である。この村のことは、柳田國男に遠野に因む話をもたらした佐々木喜善が生まれ育った土淵村と並んで、最もひんぱんに出て来る地名で、殊に早池峰に因む話や、マタギ、木挽など山の民の話が多く、馬と牛が附いているという、この奇妙な地名の通り、馬牛と人との関わりの深い土地である。『遠野物語』に、娘と馬が愛し合う有名な話がある。
「昔ある処に貧しき百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。また一匹の馬を養ふ。娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦になれり。ある夜父はこの事を知りて、その次の日娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のをらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首にりて泣きゐたりしを、父はこれをにくみて斧をもちて馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り至れり」
南部曲がり屋は、人馬一体の家である。曲がり屋の家では、人と馬は深い絆で結ばれていた。馬のあの澄んだ目を見ていたら、それに魅入られる娘がいても不思議ではない。家族内の諍いに、馬が巻き込まれるというようなこともひんぱんにあったことだろう。
このような伝説に包まれた遠野なので、田瀬理夫(プランタゴ)は、遠野の町に騎馬警官を配してはどうかという。突飛な話に聞こえるかも知れないが、そこは理詰めの田瀬である。馬は交通法規上車両として扱われるそうで、自治体がOKといえば、実現できるというのである。
日本とカナダの住宅に関する国際会議がオタワで開かれた折、日本からの発表者として参加した私は、オタワの街で騎馬警官隊を見た。女性の警官が馬に跨っていて、それは頼もしい姿だった。馬が嘶くと、それを囲む人々は拍手をして喜んだ。するとまた馬が嘶いた。人々の顔は満面喜色に溢れていた。
田瀬は「馬は、日本で飼える最大のペット」だと言う。馬の脳化指数は高く、おいしい食べ物をくれた人間の顔を、長期間覚えているそうだ。そんな馬たちが遠野の町を闊歩したら、それは大きな話題となり、遠野市の観光資源にもなるだろう。今年は『遠野物語』100年。この本を読めば、田瀬の発案は決して突飛な話とはいえない。
「もう家の庭しか残されていない」
田瀬をみていると、ランドスケープとは、チマチマとした「箱庭」をつくることではなく、そういうスケールで考えるものらしい。大きなデザインを忘れ、施設内のデザインに留まるものが多い中で、田瀬は地域に広げて発想し、そこから詰めていって、施設のデザインを求める。
今、町の工務店ネットは、田瀬理夫と組んで「一坪里山」の取り組みを進めている。「一坪里山」とは、工務店が建てる家のデッキをくりぬいて、その地域の自生種の草花や、樹木や、水溜りを設けることをいう。デッキは、リビングの延長線にあり、部屋から眺められ、お手入れもラクである。そこで育てた草花などを敷地全体に移植し、緑に溢れた住まいにしようというのだ。また、ご近所や知り合いにも株分けを行うことにしている。
「一坪里山」を始めたきっかけは、キキョウやリンドウまでが絶滅危惧種に指定されたという話を耳にしたからである。この二つは、日本の山野に野生する代表的な草花である。殊にキキョウは、わたしの散歩道にいつも咲いていた花である。家の近くに、切り通しの道があって、朝の散歩道にしていた。道の両側は、赤茶けた土で覆われた崖になっており、秋になると日当たりのいい斜面に、星形のキキョウの花が咲いていた。膝を悪くして、散歩をしなくなって3年になるが、昨秋、気分のいい朝に久しぶりに歩いてみたら、キキョウの花が消えていた。
キキョウは、絶滅危惧種の中でもII類(VU)なので、絶滅が危惧される、という状態にあるのだが、新潟県が×、島根、広島 茨城が△とされる。それ以外の都道府県も、自生株は近年減少傾向にあるという。
各地域の絶滅危惧種を調べたところ、草花類だけで、どこでも約500種類に達することが分かった。それを復活させ、育てるのは手間が掛かることである。行政にそれを期待しても、まずムリである。たとえば、リンドウを県花としている長野や熊本で、「リンドウを救おう!」と一度として言ったことがあるだろうか。レッドデータをみると、リンドウは24種類が指定されている。もし、二つの県がリンドウを県花というなら、県の調査結果を県民に大々的に広報し、県を挙げて自生株を育て、それを県民の各戸の庭に植えてもらって、花が咲いたら観賞会を開くぐらいのことがあっていい。
自生種の草花を救うのは、実際問題として、もう各戸の庭しか残されていないのではないか、と思った。
公園・街路樹・緑化地は、大量の薬剤(除草剤・殺虫剤・殺菌剤)を散布することを前提にした生物相であり、都市で目立つのは、造園樹木による単純な植物相である。また、落葉の除去、雨水の直接放流、踏圧によって土壌生物の環境は、著しく劣化している。
町の造園屋は、自生種などにかまってなどいられないのである。そんなことをしていたら、効率が悪く、採算にあわないからである。各県の行政は絶滅危惧種を指定しながら、それを首肯せざるを得ないでいる。これを救うのは、もう各戸の庭しかないのではないかと思いつめ、工務店に呼びかけたのである。
柳田國男は『野草雑記』の冒頭に、自分の家の庭には、始め「何物をも栽(う)えない主義」であると書いている。その土地には、すでに生えている木や草があり、その実生が飛んできて、自然に根づくからいいのだ、という。柳田が東京成城に居を構えたのは、1927(昭和2)年だった。今もし、柳田が言うように「何物をもえない主義」を通したら、外来種にほとんど支配されてしまうというのが現実である。
あるべきもの」がそこに「ある」状態へ
町の工務店ネットのメンバーは地域工務店の集まりである。
しかしながら、工務店は外構工事を、電気・給排水工事と同じように、外部に丸投げしていることが多く、果たして関心を持ってもらえるかどうか心配だった。第一、工務店が発注対象とする町の造園屋、植木屋、植物店の多くは、どこのどこで生まれたか分からない、産地タグのない樹木や草花を扱っており、住宅雑誌はハウス誌と専門誌を問わず、掲載されるものは全国一律的である。
外構工事自体を、住まいの設計と捉えることすらキチッとやられていないのに、絶滅危惧種にまで目を向けるアースワークが工務店にやれるものかどうか。自生種は、とうに身の周りから消えていて、探し出すのに苦労する。それを探し出して、建築する家の庭に植えろというのは無謀な試みといえば言える。しかし、貴重種を一つでも探し出したら地域に貢献したことになり、工務店にとってそれは歓びに変わる。
外来種の緑は濃くて、在来種の色と異なり、広い野原でみると、よく分かる。それは、日本古来の野の色の喪失を意味しないだろうか。草木染(野山染)の色に懐かしさを呼び起こされるのは、それが日本の色だからである。しかしそれは、昔の野の色を知る者に限られることで、最近の若い人は、外来種の濃い緑しか知らないので、そういう感慨を抱くことはないだろう。「一坪里山」は、一朝一夕にやれることではないのだ。
ネットが運営する住まいネット新聞「びお」で、秋の七草を特集しようとしたが、栽培されているものはあるけれど、自生のものは壊滅的に失われていることが分かった。自生種で元気がいいのは、地下茎を根付かせ、蔓を這わせる葛ぐらいである。このようなことはアメリカでも起こっていることである。観賞種としてアメリカに運ばれた葛が、彼の地で旺盛に繁殖し嫌われている。イギリスでは、日本のイタドリが川沿いにびっしり繁茂して、彼の国の天敵とされている。
つまるところ、生物多様性を条件づけるのは、それぞれ守るべきものを守ることである。「あるべきもの」がそこに「ある」ことである。一方、外来種を見つけたら、どこの国でも、親の仇のように草刈りすることである。
今の風潮は、「エコカー」に乗れば「エコ」、太陽電池を載せれば「エコ」というわけで、極度にモノ化されている。自転車で通勤している人の方が、ほんとうはエコなのに、自転車に「エコポイント」がつけられたという話は聞かない。自生種の野草を復活させたら、そういうのを、ほんとうの「エコ」というのではなかろうか。
宇宙飛行士の若田光一さんが、137日ぶりに地球に戻ってきて、ハッチを開いて、最初に鼻をついたのは「地球の草の香り」だった。野に満つる草々は地球の香りである。今のところ、地球以外に草が咲いている星は見つかっていない。