まちの中の建築スケッチ
第86回
河原町団地
——昭和の公営住宅——
馬込からは、多摩川大橋を越えて川崎駅までの直通のバスの便が昔からある。2週間ほど前に、久しぶりに川崎まで乗ったバスの中から、まだ健在な河原町団地の集合住宅を遠目に見た。そして3日前には、今年6月に亡くなった青木繫(1927-2024)の偲ぶ会があり、そこで河原町団地も青木の構造設計の代表作にあったことを知り、是非見学しなくてはとの思いで、また同じ川崎駅行きのバスに乗った。河原町団地バス停で降りる。
逆Yの字の構成の高層集合住宅は3棟ある。実にどっしりと安定感を感じさせる形だ。設計者の大谷幸夫は、当時、丹下研究室の助教授で、授業も受けたが、とても華奢な体つきで、まるで対照的である。他の直方体の棟に比べて、どこから眺めても抜群の迫力がある。この部分は県営住宅のようである。団地は大きくて、他に、市営やURの部分もあるようだ。団地を一回りしてみたが、隣棟間隔もあるし、ところどころ木も育っているのはよいが、けっこう目立つところに、ゴミ集積所や自転車置き場が配置されている。それなりにスペースはあるのだから、もう少し自然の緑を取り入れた外構として設計して、公園の中の道のようにならないものかと思った。新築時点はともかく、コミュニティとしてそんな話は持ち上がらないのだろうか。
うろ覚えではあるが、学生の時にも見学したように思う。青木先生の資料では72年竣工とあるが、だとすると竣工前に訪れたのだろうか?学生のときの集合住宅の課題は4年生のときにグループで取り組み、平面的にY字にしたのを覚えている。模型も作った。立面で逆Y字の河原町団地の影響だったのかもしれない、などとかってな妄想をめぐらせた。ほとんどが直方体の集合住宅は、大きさや並べ方を変えるだけでは、面白みがない。その後の一般解にはならなかったものの、懐に大きな空間を抱えた逆Y字の集合住宅は、今でも未来感覚を持っている。
低層の5階分が少しずつ張り出す形で住戸が重ねられている。間口はそれほど大きくないこともあり、ほとんどの1階の住戸は洗濯物が道路側に並ぶことになっている。14階という大規模な全体に対して、戸建ての庭の延長のようなスケール感で、対比が面白い。斜めから見ると、立体的にブロックがずれて重なっていることになるし、6階から14階は四角く張り出したベランダがリズミカルである。水平距離があることから、高層部の圧迫感も少ない。
スケッチしたのは4号棟で一番奥にある。グラウンドでゲート・ボールに興ずる人の歓声をときどき耳にしながら、逆Y字の壁面を、まず描いた。建物としては、しっかりメンテナンスもされているように見た。右手の自転車置き場は、便利さから多少古くなってもそのまま使い続けるということなのだろう。
1970年代くらいまでは、公的に集合住宅建設がけっこう進められたのが、いつの間にか、民間のマンションに取って代わられ、住宅政策としては、ハードに予算が割かれなくなった。建物の寿命も有限であることを思うと、公営住宅として維持管理、補充を、正面から考えるべき時代になってきている。特に、東京都内や近郊の地価上昇は異常であり、狭小ワンルーム・マンションを市場に任せて建てさせていることが、無計画なまちづくりになっている。公営住宅を、新たな住宅政策として展開することで、住環境向上の方向がみえないだろうか。