まちの中の建築スケッチ

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山本有三記念館
——大正の住宅——

山本有三記念館

東京新聞には、ときどき都内近郊の建築の記事が載る。「文学散歩」ということで紹介されていたのが、山本有三(1887-1974)が住んだ洋館である。今も公開されているというので、出かけた。

三鷹駅で降りて南口のデッキに出ると、郊外のJRの駅はどこも似ているが、左手に大きな欅があって、武蔵野を感じさせる。その先に緑が繋がっているのが玉川上水であり、さらに先では井の頭公園を抜ける。その両側に川沿いの道が整備されている。「風の散歩道」と名付けられたその道を10分ほど歩くと、右手に開けたスペースがあり、小説の表題にもなっている「路傍の石」そのものが、でんと置かれている。そして入口の奥に山本有三記念館が現れる。

大正の関東地震の後に地下と1階はRC、2階は木造の洋館(約400m2)として建てられたが、設計者は不明とのことである。外壁の1階は黄土色のスクラッチタイルで、この時期の建物だ。2階は漆喰壁で木造を主張している。暖炉も壁に沿って屋根を貫く形で3か所ほどにある。その足元は大谷石組になっている。

有三は、気に入って母親との6人家族で住んだという。戦後は進駐軍に接収され、大森に転居したというが、接収解除となってからは、国語研究所に使われたり、三鷹市青少年文庫になったりした後、三鷹市が整備して1996年に山本有三記念館として開館したという。

建物を回り込むと南側もけっこう奥までが広い庭になっていて、市の公園として開放されている。大木も多く、足元には草花も手入れされている。垣根を隔てた周辺の住宅も第1種低層住居専用地域で、多くが2階建てで庭を介して接しており、圧迫感がないのも良い。

ちょうど、有三没後50年というので、絶筆となった「濁流 雑談近衛文麿-燃ゆる創作への思い-」の企画展が開催されていた。近衛文麿(1891-1945)とは一高で同期だった縁で近衛が首相になってから亡くなるまでの間、親しい関係にあったという。

建築が長く在ると、それにまつわる人の歴史を偲ばせる。同じ空間にいると、そこでどんな思いで暮したかということも想像できる。部屋ごとの展示も、住宅の部屋巡りでもあって気持ちよく回れる。小笠原伯爵邸旧岩崎邸ほど大規模なお屋敷ではないので、三鷹市にティー・ルームを期待するのは無理かもしれない。こどもたちも巻き込んだイベントなどは時々開催されているようで、山本有三も記念館も喜んでいることであろう。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。