まちの中の建築スケッチ
第76回
旧岩崎邸
——明治の洋館——
建築を学び始めた学生時代に本郷に通い、その後、教員として建築学科に奉職してからも4半世紀にわたり本郷に通っていたのに、すぐ近くに立派な明治の洋館があったことを知らずにいた。今回、初めて訪れた次第である。医学部と病院のキャンパスにほとんど接するようにして、本郷台地の端に、旧岩崎家茅町本邸(現住所は池ノ端)は建っている。東京都の庭園として公開されており、その入り口は、不忍池の側にある。ゆるやかな馬車道と呼ばれる砂利の坂道を上ると、正面に樹齢400年という大銀杏があり、その左に堂々たる洋館が現れる。本郷キャンパスは加賀藩の江戸屋敷であったが、周辺はさまざまな藩の敷地であったことが江戸の地図から知ることができる。岩崎邸の敷地は越後高田藩の江戸屋敷跡を、初代三菱社長の岩崎彌太郎(1835-85)が明治11年(1878年)に購入したものという。
設計者はニコライ堂の設計でも知られるジョサイア・コンドル(1852-1920)で、明治10年(1877年)、東京大学(当時は工部大学校)にお雇い外国人として来日し、わが国に西洋の建築学を導入した。実務でも活躍し、三菱一号館を初め、多くの建築の設計も手掛けている。旧岩崎邸は、すでに親交のあった三菱の三代目社長岩崎久彌(1865-1955)の本宅として明治29年(1896年)に建てられたもので、コンドルの最高傑作といわれる。その後明治41年(1908年)には、現在三菱グループの俱楽部として使用されている開東閣が岩崎家高輪別邸として建てられた。
地下1階地上2階の木造建築であるが、柱や窓回りの意匠は、石造りの重厚さを感じさせる。室内の木の造作も、階段を始め手が込んでいる。南面は、1階、2階ともゆったりしたベランダになっていてギリシア風の柱頭飾りをもつ列柱が印象的である。庭園の洋館という点では、東京都庭園美術館と対比してみると面白い。時代は少し下るものの、庭園美術館の内装はアール・デコでフランスの香り、建物もすっきりしたモダンな印象は、ドイツのバウハウスの流れを感じさせるのに対して、岩崎邸は久彌の趣味ということでもあろうが、イギリスの重厚な構成に装飾が施されている。庭も広い芝生で、ベランダからの眺めも気持ちよい。残念ながら、どの方角にも、背景に高層のマンションや事務所ビルが迫っている。
敷地は、当初の3分の1程度に縮小された。建物も当初は20を数えたという。それでも現存するものとして、本邸の東には、地下通路でつながっている校倉造り風のビリヤード棟、西には、和館が接している。大広間の広い縁側を庇の下に納めた空間は、また西洋風のベランダとの趣の違いを見せてくれる。
高輪の岩崎邸の開東閣は、三菱グループの施設で非公開であるが、パーティでは何度か利用させてもらったことがある。池ノ端の岩崎邸は都に移管され、公開されているものの、和室の一部がティールームになっている程度で、基本的に見学させるだけである。もう少し生きた使われ方があっても良いのかとの思いもある。