まちの中の建築スケッチ

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常安寺五重塔
——天童の新しいランドマーク——

常安寺五重塔

令和元年11月、天童市常安寺に新しく五重塔が建てられた。今年初めに、会津に住む友人から、A4版150ページの記念誌「天童 令和の塔」が送られて来た。住職からの「是非見に来てほしい」との伝言も添えられてあり、訪ねることとした。

将棋の駒で有名な天童市は、四周が山に囲まれた盆地である。東京からは、大型連休が始まっていたが、東北自動車道から山形自動車道に入ると幾重にも山を越えていくことになるものの、車の流れはスムーズで、5時間ほどで着いた。歌川広重の所縁の地でもあり、広重美術館で東海道五十三次の版画展を見た後、日の落ちる前に出かけた。

境内に車を駐車し北東側からスケッチした。屋根は銅板葺きで黒褐色、軒を支える垂木の小口は白く塗られて、すっきりした真新しい塔である。宝珠、水煙、相輪の基盤部分が金色に光っている。街中には、ホテルなどの高層建物もあるが、ほとんどが2階建てであり、かなり遠くからでもランドマークとして目立つ存在になっている。

翌日は、昼前に友人も来てくれて、一緒に住職から五重塔建設の話を伺い、塔の中も見せていただいた。記念誌には、図面を始め、詳細な構造についての記載もあって、一般の高層建築物の耐震安全性と同等という行政の了解を得ることのご苦労も想像できた。設計協力をした腰原幹雄(東京大学生産技術研究所教授)を代表とする研究会で、地震時の力学的挙動を丁寧に予測評価している。

そもそもは、現代の五重塔として永代供養塔を納める形にしたいというのが、住職の思いであるという。思いが行動に移ったのは平成17年からで、総量2800石の青森ヒバの原木を集めるとことになったというが、五重塔建立の強い思いが想像できる。

第1層の床面は、地面から1.5mほどのコンクリートの基壇の上さらに1.2mのレベルである。扉の中に入るとヒバが香る。五層を支える4本の丸太柱で囲まれた中央に永代供養の石塔が置かれ、心柱は、第2層レベルで受けている。梯子で第4層まで上らせていただいたが、深い軒を支えるために垂木は密に入っており、ヒバの木材で覆われた空間の隙間に体をくねらせて行くことになる。貴重な体験をさせて頂いた。

現存という意味では、法隆寺の五重塔が最古であるが、眺めて感動することは少なくないが、建て主の思いに馳せるという経験も貴重である。どこの五重塔にも建て主はいる。そう簡単に建てられるものでもない。一度建てれば、法隆寺とは言わなくても、数百年人々の目に触れることを思うと、建てることのエネルギーを感じる。

宗教建築といっても、現代の設計がある一方で、五重塔のように、1000年以上の伝統が引き継がれる設計もある。設計であるからには、今建てることによる選択や工夫は必ず付随する。意匠一つにしても、例えば薬師寺の場合、今の東塔は、漆喰白壁と木の肌であるが、西塔は朱塗りで、小口飾りが付けられている。天童では木で組まれていることを設計としても主張したものになっている。法隆寺五重塔や薬師寺東塔のように、長く存在していること自体が魅力であり美しさだったりするが、常安寺の五重塔にはこれからの未来を想像させることの建築の魅力を見る思いがした。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。