世界のキッチン おじゃまします!キューバで見た6つのキッチン 山口祐加

世界のキッチン おじゃまします! 
配給制度が残る国・キューバで見た6つのキッチン

キッチンは個人の料理の好き・嫌いに関わらず、必ずと言っていいほど家の中にある。どんなに小さい居住空間でもキッチンは欠かすことのできない存在だ。このキッチンに付随する炊事機能は世界共通だが、国が変われば料理が変わり、それに従って設えや暮らしのなかでの立ち位置も異なるのではないだろうか。その国の暮らしをキッチンから覗いてみようと思い、最初は社会主義国・キューバで取材することにした。現地で思わぬ縁がつながり取材した「6つのキッチン」から見えてきたのは、キューバの人びとの、小さい空間を上手に工夫して使う柔軟さと物がなくても自分たちで発明してしまう賢明さ、そして料理がキューバの人にとって非常に日常的な行為ということだった。

文・写真=山口祐加

Vol.4  キューバ革命を生き抜いた
おばあちゃんの
カラフルなキッチン

カラフルなキッチンと
甘いエスプレッソ

キューバで4件目に取材したのは、ユキさんのお話にも登場した同じアパートに住むおばあちゃん、アルベルティーナさんのキッチン。彼女は前回紹介したマジートさんの叔母さんにあたる。マジートさんの妻アイマラさんに通訳をしてもらい、お話を伺えることになった。

お部屋に上がらせてもらうと、すぐ左手にキッチンがあった。目に鮮やかな水色と白の市松タイルがかわいらしい。早い時間におじゃましたが、すでに夕食の準備が進んでいた。アルベルティーナさんは「コーヒーは飲む?」と水筒を取り出し、コップに注いでくれた。キューバでコーヒーといえばエスプレッソで、砂糖や蜂蜜を入れて甘くするのが特徴的。ほどよく甘いエスプレッソが、私の緊張をほぐしてくれるようだった。

キューバ革命前後の生活とは?

私は彼女にぜひ聞いてみたいことがあった。それは、キューバが実質アメリカの支配下にあった1900年前半、親米・バティスタ政権による独裁政治が始まり、それに対して民衆が反政府運動を起こして勝利したキューバ革命についてだ。
アメリカ資本が入っていた革命前の農業は、自国であるにも関わらず他国の企業に低賃金で雇われ、生活が困窮していたという。当時、彼女はどんな生活をしていたのだろう。
料理をするキューバのアルベルティーナさん。
「私は16歳の頃から家政婦として働き始めました。家族を養わなければならなかったこともあり、必死で働きました。料理は仕事を通じて学びましたね。
当時の食事に関して言うと、今チキンやピザが当たり前に食べられますが、その頃はそんなお金もありませんでした。田舎で暮らしていたので、自家栽培した野菜を食べたり、牛から採った牛乳を飲んだりしていましたね。
そのうちにキューバ革命が起こり、私は国からこの家と家の下にあるお菓子工場で働く仕事を与えられました。仕事も住まいも与えられて、とても有り難かったです。」

長年使われてきた彼女のキッチンに漂う清潔感や、ていねいに料理を作る様はこうした背景から来ているのかと膝を打った。
私が「当時は生き延びるために自家栽培の野菜を作るしか選択肢がなかったのかもしれないが、今となっては豊かな生活に聞こえます。」と彼女に伝えると「確かにそうかもしれないですね。」と微笑んだ。

アルベルティーナさんの
ある日の献立
・コングリ(黒豆とご飯を一緒に炊いたご飯)
・フライドポテト
・ドルマ(トルコ風ピーマンの肉詰め)
・サラダ

彼女はこの家に息子と孫の3人で暮らして、料理はいつも彼女が作っている。人に作るのが好きだと彼女はうれしそうに話してくれた。
話終わる頃に、「夕食、食べて行くでしょう?」と言われたのだが、私は前回訪ねたアイマラさんの夜ご飯を食べる予定でいたので、フライドポテトとコングリを少しだけ味見させてもらった。どちらも素朴な味付けで食べていて飽きず、もっと食べたくなってしまった。
短い時間だったが、愛情深く振舞ってくれる姿に私も一瞬だけ彼女の孫になった気分だった。

次回は、ハバナで仕出し料理を一人で営む元船舶料理人の女性のキッチンを紹介したい。どうぞお楽しみに。