「ていねいな暮らし」カタログ
第16回
井戸水の活用とローカルメディア
この度の「平成30年7月豪雨災害」は、西日本の各地が被災地となる甚大な広域災害となってしまいました。これを書いている7月16日の時点で、死者は200名を超え、少なくとも2万人が避難をしたと報道されています。私の住む尾道も豪雨の影響を受けました。とりわけ悩まされたことは、この豪雨によって三原の取水場が水没し、7日から断水状態となったことです。
今回の断水は、突然やってきました。7月6日に「避難指示」を受けて避難所で一夜を明かした後1、Facebook経由で「7日の正午から尾道で断水かも」という情報が目に入り、近くのスーパーで数本の水を買い(この時は何の根拠もなく2,3日で終わるものだろうと思っていました)、帰宅後すぐにお風呂に水を溜めました。この時にはまだスーパーに水が並んでいましたが、夕方になって近くの温泉にお風呂に入りに行った時には、棚から水がなくなり、パンや冷凍食品など、水無しで食べられるものが消えようかという状態でした。
SNSでは、この断水がいつまで続くのかと憶測が飛び交う中、存在感を示したものが井戸でした。尾道は井戸の多い地域で、毎年7月には水祭りが行われるほど水に縁のある街です。「生活用水に使える井戸があります」との情報がSNSをめぐり、「この街はもう一つのインフラを潜在的に持っていたのか」ととても驚かされました。全てがきれいな水というわけではないので、主にトイレ排水と洗濯用に使われていたようですが、酷暑のなか給水所まで行って長いこと並んで水を得る手間を考えると、近所の井戸水は画期的な「発見」だったと言えます2。
もう一つ、個人的にとても良い情報だと思ったものは、尾道のローカルテレビ「ちゅピCOMおのみち」が豪雨後に流していた情報でした。各地で土砂崩れが起こったことで、通れない道ができ、渋滞したりなどさまざまなことが同時多発的に起こっていた時に、写真のような映像を延々と流していたのです。こちらの写真は少し状況が落ち着いた頃に撮影したので背景が静止画となっていますが、7月7日に観た時には、背景には尾道中の道路をひたすら走っている動画が映され、その上に給水所の情報などを文字で載せた映像が流れていました。道路状況を映す映像はタイムラグがあり、文字の色もどぎつく素敵なものでは決してないのですが、「近くの道がこんな風になっていたのか」を知るのにとても役立ちましたし、実況や解説が入ることもなく淡々と映されるので、私自身がこの実状に対して適切な距離感を保てていた気がします。
私自身が「ていねいな暮らし」表象に関心を持つようになったのは、2011年の東日本大震災後のことでした。今回、自身の居住地で災害を経験し、自分の住む街のライフラインはどのように供給されているのか、どのような危険が予測される場所であるのか、どのメディアの情報に知らず知らずのうちに頼っていたかをいろんな人と話をしながら再確認しています。これらの課題は地区レベルや市町村レベルなどさまざまなレイヤーで再考すべきことで、暮らしの基盤となるものは見えなくなっていた「当たり前」の集積であるのだと改めて実感しました。今回見聞したことを忘れてしまわぬよう、記録していかねばと思っています。
(1)この時、テレビのニュースをずっと見ていましたので今晩は避難する必要があるかと家人と話していたのですが、その後押しをしてくれたのが東京や東北にいる家族や親戚、友人たちからの電話やメールでした。「今いる場所は本当に安全な場所なのか」を何度も確認され、避難しようという気持ちを強くしました。「自分のところは大丈夫」と過信することなく、安全を期すためには外の人たちの声が必要になるということを実感しました。
(2)このような給水所や井戸、お風呂屋さんの情報を、私はFacebookを介して得ていました。近隣の地方自治体は、TwitterやLINE、Facebook等の即時に配信可能なメディアを使って情報を発信していたようです。しかし、このようなオンラインの情報を得にくい高齢者の方々もいます。うちの地区では町内会長が掲示板で断水情報をこまめに貼替えていましたし、他の地区では民生委員の方がビラを配るなどしていたようです。こういった時に地域内の情報共有をどうするかをそれぞれで考える機会となりました。