びおの珠玉記事

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塩の日

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2012年01月11日の過去記事より再掲載)

食塩

1月11日は「塩の日」です。

川中島の戦いで知られる戦国時代のライバル、越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄のエピソードに「敵に塩を送る」というものがあります。

川中島の戦い

川中島の戦い


甲斐は海に面していません。塩は交易によって他の国から購入する必要がありました。駿河の今川氏や相模の北条氏は、武田氏が三国の同盟を破って侵攻したことから、経済制裁として、甲斐との塩の交易をストップしました。
これに対し、上杉氏は武田氏と敵対しながらも、あくまで武で争おうという姿勢を貫き、越後からの塩の交易を妨げなかったといわれています。

これが、江戸時代の学者、頼山陽らいさんようによって有名となった「敵に塩を送る」ですが、実際に行われたかどうかは定かではないようです。
しかし、この爽やかなエピソードは人々の心を捉え、越後から甲斐に塩が届いた1月11日を記念して、「塩の日」とされるほどになっています。

生命の必需品、塩

塩分は高血圧の原因と言われてきました。健康のために塩分を控えるように、という指導をされたことのある人も多いでしょう。しかし、塩は決して不要なものではなく、むしろ生命活動には必須のミネラルです。血液の浸透圧を維持し、平衡を図る機能があります。
塩に多く含まれるナトリウムが不足すると、体が塩分濃度を調節しようとして、水分を減らそうとします。これによって水分不足がおこり、めまい・脱力感などを引き起こします。熱中症防止のために、塩分をとったほうがいい、というのは、こうした事態を防ぐために血液中のナトリウム濃度をあげるためです。

反対に「水中毒」という症状があります。腎臓の処理能力を超える速度で、水分を過剰に摂取すると、血液中のナトリウム濃度が下がり、低ナトリウム血症から、ひどければ呼吸困難に陥り死亡することもあります。

塩を遠ざけてばかりでは、かえって健康を害することも。適切な塩分量には諸説あり、また個人差もあります。
野菜を多くとる食生活なら、野菜に含まれるカリウムがナトリウムを排出するため、結果として塩を多くとることが利にかなっています。肉食が多い場合は、肉に元々含まれるナトリウムもあり、比較して塩の摂取量は少なくなります。
日本食は塩分が多い、といわれるのはこのことにも由来しているようです。

塩人間?

人の営みは塩とともにあったといってよいでしょう。紀元前6000年には、中国の塩湖で蒸発により出来た塩の結晶を採っていたようです。湖の占有権をめぐっての争いも絶えなかったといわれています。紀元前12世紀には、塩税を論じた文献も記されており、中国では塩が争いのもとでもあり、国家の財源でもあったのです。
塩が国家の財源であったのは中国に限らず、ヨーロッパや日本でも例が見られます。
ラテン語で塩を意味する「sal」という言葉が、古代ローマの兵士の給料として与えられた塩「salarium(サラリウム)」の語源となり、給料を意味する「salary(サラリー)」となりました。
サラリーマンって、語源からみれば、「塩人間」ということになるのでしょうか。しょっぱい感じです。

ウユニ塩湖

ウユニ塩湖

塩の使い道

塩の用途は1万4千を超えるといわれています。直接の食用のほかにも、薬や生理用食塩水、石鹸、火薬、染料、飼料、道路の凍結防止などに塩が使われます。塩を原料にした苛性ソーダや塩素等からは、殺菌剤、接着剤、プラスチックやガラスなど、こんなところにも塩が? というような使い道があります。

食用では、五味(酸苦甘辛鹹)のうち、しおけが「しょっぱさ」をあらわします。塩はこの「鹹」に直接貢献する他、他の調味料の原料にもなります。ゆでた野菜の色をあざやかにしたり、焼き魚のヒレが焦げるのを防ぐ「飾り塩」にも用いられます。
西瓜にちょっと塩をつけることで、甘味を引き出す、といった使い方も粋です。

この他、食品の保存性を高める効果は古くから知られており、中国では紀元前2000年に、エジプトではそれよりはるかに古い時期から、食品を塩漬けにして保存するということが行われていました。

現在のように輸送・冷蔵技術が発達していないころは、食品の腐敗を防ぐために塩が多く使われていたのです。

梅干し作り

塩に漬けて食べ物を保存する


昨今では、塩分が高血圧の元だといわれるようになり、どっぽりと塩につかったような食品は減ってしまいました。
「海の水はなぜしょっぱいか」「鮭がいるから」なんて言葉遊びもあったようですが、今は昔、ということでしょうか。
新巻鮭(塩漬礼讃)

新巻鮭

人びとと塩

塩はさまざまな宗教でも特別な意味を持っています。ユダヤ教では、塩は神との契約の象徴であり、食べ物の象徴とされ、安息日用のパンを塩にひたす習慣があります。キリスト教の聖水のおこりも、塩と水だったといわれています。
日本でも、塩は穢れを祓うものとして、塩が用いられます。
相撲の土俵に塩をまいたり、嫌な客が帰ったあとに塩をまくのも、「清める」という精神からきています。

砂糖でも胡椒でもなく、塩が、世界のあらゆるところで、精神的に大きな役割をしめています。

塩は食料保存と密接な関係があり、結果、食料生産能力にも影響が大きかったため、塩と食糧の交易による利権をめぐって、世界各地で争いが起こります。

アメリカ南北戦争当時、南部に十分な塩の生産能力がなく、輸入に頼っていました。リンカーンが南部の港を封鎖したことで、南部では塩不足がおこり、関連して食糧不足が起こりました。北軍は塩を戦略物資と考え海上封鎖を続け、南軍の製塩所を奪取すると、ことごとく破壊したといいます。リンカーンと上杉謙信、ずいぶんな違いです。

塩と政治に関連して、外して語ることができないのが、インドのマハトマ・ガンディーの逸話です。
塩の専売が、貧しい人びとの入手を妨げており、イギリスの悪政の象徴だとして、抗議行動にはいります。400キロあまり離れた浜まで歩き、そこで塩をとり、イギリスの法に背くことが目的の「塩の行進」をはじめるのです。行進を続けるなか、当初は100人に満たなかった同行者は、二十五日の行進で、数千人に達しました。ここからインド全土に影響が広がり、多くの人々が専売に反対して塩を集めたり作ったり、という運動につながり、やがてインドとイギリスが対等な交渉のテーブルにつけるまでになっていったのです。

最近の日本では、事業仕分けによって、財団法人塩事業センターの備蓄塩が多すぎることが指摘されたのが記憶に新しいところです。
ところが、東日本大震災によって東北の製塩所が被災し、この備蓄塩が活躍することになりました。
ときを同じくして、日本では、米や水の買占めはありましたが、中国では、放射性物質に塩が効く、という噂から、塩の買占めが起こったようです。
食塩
現在の塩は、食用よりも、工業用の用途としての割合が多くなっています。しかし、生命にとって必要で在り続けることに変わりはありません。

「黄金を求めない者はいるかもしれないが、すべての食物をうまくする塩を欲しがらない者はどこにもいなかった」(6世紀のローマの学者・カッシオドルス)

参考文献:「塩」の世界史(マーク・カーランスキー著 山本光伸訳 扶桑社)