びおの珠玉記事

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こんにゃく物語

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2014年01月10日の過去記事より再掲載)

ざるにのせたこんにゃく

こんにゃくの誕生は?

こんにゃくが年中食べられるようになったのは、ある技術革新があったから。それまでは、こんにゃくの旬といえば11月から1月頃です。

こんにゃくは西暦300年頃の中国の書物に登場するのが記録上のはじまりで、日本では平安時代に編まれた事典「和名類聚抄わみょうるいじゅしょう」のなかで、しょくの人がこんにゃくを作っていたという記述があり、中国からこんにゃくが伝わってきたことがわかります。

こんにゃく芋は、他の芋と同じように、地下茎の部分を食用とします。ただ、他の芋と異なるのは、そのまま茹でたり焼いたりしても、とてもエグみがあって食べられたものではないことです。
生のこんにゃく芋は、毒芋とさえ呼ばれ、ネズミはこれを食べれば死ぬだとか、猪も種芋こそ食害するが、育った芋は決して食べないといいます。

こんにゃく芋

こんにゃく芋

それではどうしてこのこんにゃく芋を食べるに至ったのでしょうか。
「こんにゃくの中の日本史(武内孝夫・講談社現代新書)1」に登場するこんにゃく店の店主は、こんにゃくは偶然出来た産物ではないか、といっています。

煮ても焼いても食えないこんにゃく芋に腹を立て、囲炉裏の鍋に投げ入れてふて寝。翌朝見ると、鍋に投げ入れた芋が巻き上がった灰で凝固し、食べられるようになっていた、と。

これが事実かどうかはわかりませんが、似た話には、寒天の誕生逸話があります。ところ天を冬の屋外に放置しておいたら、凍って水分が抜けた状態になっていた、というものです。これが偶然だとすれば、ところ天をわざわざ外に出しておくこともないでしょうから、やはり失敗したところ天を外に放り出して、ふて寝をしたら出来ていたのかもしれません。

つまり、失敗したら放り出して、ふて寝をすると、翌日いいことがあるかもしれません…という逸話ではなくて、偶然生まれた食べ物というのは、おそらくいろいろあるのです。

ヨーグルトも牛乳を放置していたら出来ていた、とされていますし、納豆は、大豆をわらで包んで持ち運んでいたら、藁の納豆菌によって納豆が出来上がっていたのが起源とされています。
そもそも人が加熱調理を覚えたのは、山火事で焼け死んだ動物の肉を食べて味をしめたからではないか、と言われています。

こんにゃくが、こうした偶然起源の食べ物かどうか、真偽の程はわかりませんが、少なくとも日本でも1000年以上前にはもう食べられていた、歴史ある食べ物です。

こんにゃく・今昔

こんにゃくはカロリーがないからダイエットにいい、などという話を聞きますが、実際のところはカロリーゼロではありません。100gあたりで5キロカロリー程度ではありますが、カロリーを持っています。とはいえかなりの低カロリー食品であることは確かですし、カルシウムと食物繊維も多く、健康志向にあった食品、といえそうです。

ですが、健康志向の昨今にあっても、こんにゃくの消費は決して大きく伸びてはいません。
こんにゃく芋自体の国内生産量は、平成3年に12万トンを記録したのが平成以降では最多(2014年時点)で、その後は増減しつつ漸減ぜんげん傾向2にあり、平成24年の生産は6万7000トンとなりました。

同年の輸入こんにゃく芋は865トンあまりで、こんにゃく芋はほぼ自給できている食べ物、といっても良さそうです。
(けれど、「カロリーベース」の自給率でみると、こんにゃく製品はあまり寄与しませんね、カロリーが低いから。あらためてカロリーベースの自給率というのは、不思議な指標です)

さて、自給ネタが出たところで、関税についても触れておきましょう。こんにゃくの関税は、かつてTPP推進派の閣僚が関税率1706%、ということを取り上げて話題になったことがあります。

実際のところは、こんにゃく芋の関税は段階がわかれていて、割当られている267トン以内は40%の税率がかかり、それを超えた場合は2次税率が1キログラムあたり2796円とされています。さらに基準量を超えると、緊急関税でキログラムあたり3728円が課されることになります。

このため、元の芋の価格によって税率は変わってきます。実勢価格では1706%とまではいきませんが、それでも実質何百%という、高い税率が課されているのは事実です。

TPP交渉での、いわゆる「重要5項目」には、こんにゃく芋は含まれていません。もしTPPが現在の方針で妥結すれば、こんにゃく芋の関税は無税になり、従来のような高い関税で保護されなくなります。さあこんにゃく業界のピンチだ…というのは、あちこちで目にする話。

実は、もうこんにゃく芋は無課税で輸入されています。
平成24年のこんにゃく芋の輸入先の1位はミャンマー、2位はラオスです。
この両国はLDC(後発開発途上国)支援の対象となっています。

ミャンマー産のこんにゃく粉を配合して国内加工しています

ミャンマー産こんにゃくが安い、ということがハッキリ書かれています。

LDC援助の特別特恵措置として、無税措置が行われています。これらの国から入ってくるこんにゃく芋は、すでに無税なのです。
ミャンマーやラオスでは、もともとこんにゃくを食べる風習はそれほど根付いていないため、日本への輸出産業としての意味合いが強いようです。

国内のこんにゃく芋は、現在そのほとんどが群馬県で生産されています。県ではTPPに参加すればこんにゃく芋の生産は9割減となる、とする一方で、政府はこんにゃく芋をTPPによる試算対象から外しました。TPP参加国はこんにゃく芋を作っていない、ということが一因です。

さて、群馬はこんにゃくの歴史が長いのでしょうか。実は、けっしてそういうわけではありません。江戸時代のころ、こんにゃくは全国に栽培が広がりましたが、生芋を用いていたため、こんにゃくとして食用にするためには、旬の時期しか作ることが出来ませんでした。

芋がれる時期にしか作れなかったこんにゃくを、精粉とすることで保存や輸送を容易にするという技術革新が水戸藩で起こりました。
これにより、こんにゃくは一年中食べられる、どこでも食べられるというものになったと同時に、相場を見ながら出荷できる、換金作物としての性質も強くなっていきました。

こんにゃくが産業化され、水戸藩の財源となり、そのこんにゃく資金は桜田門外の変にも関係していて…といった、歴史とこんにゃくの関係は、先に紹介した「こんにゃくの中の日本史」に詳しいため、興味を持たれた方はご一読ください。

こんにゃくの精粉は、長らく水戸藩の秘法でしたが、明治になると他県へも製法が伝わっていくようになります。明治前期にもっとも早くこの製法をモノにしたのが群馬県の南牧村で、これ以降、群馬はこんにゃくの産地として現在の全国1位の座を築いていきます。

かつて全国にひろがっていたこんにゃく生産は、増産による粗製濫造そせいらんぞう3を防ぐために、県による検査が行われるようになりました。しかし、こうした公権力による検査は生産意欲を減退させ、次々に産地は衰退していったといいます。群馬県だけは、この県営検査を行わず、結果として生き残ったわけですが、農作物が政争の道具になったりする昨今からすると、何か清々しささえ感じます。

こんにゃくの原料

こんにゃくの原料を見てみると、
「こんにゃく芋」「こんにゃく粉」「海藻粉末」「水酸化カルシウム」とあります。「芋」「粉」が、こんにゃくの主原料です。水酸化カルシウムは、いわゆる消石灰です。こんにゃくを凝固させるのに使います。海藻粉末はなにかというと、こんにゃくの色付けにつかわれています。
ミニ玉こんにゃくの原材料

精粉が発明される前のこんにゃくは、芋を皮ごと使って作られていたため、黒い色をしていました。精粉は、芋の中身だけを乾燥して粉末にしたもので、これから作られたこんにゃくは色が白くなります。しかし、あえて昔ながらのこんにゃくに近づけるために、海藻で色付けをしているのだそうです。

海藻の粉末と水酸化カルシウム(消石灰)、実はこの2つは、「手の物語」で準備を進めている「稚内メソポア珪藻土」にも含まれています。

高い調湿性能を持つ稚内メソポア珪藻土 | 手の物語
http://tenomonogatari.jp/b-menu/keisoudo

こんにゃくと塗り壁材で、主原料が似通っているのがなかなかおもしろいところですね。

もっとも、こんにゃく芋自体も、実際に建材として使われることもあります。
和紙の接着や強化に使われたり、左官の下地の水引を調整に用いたり、寒冷紗を貼り付けて下地をつくったりと、古くはさまざまなことに使われてきました。

建築材料ではありませんが、有名どころでは、かつて日本陸軍がアメリカ大陸に向けて放った風船爆弾には、ゴムではなく、和紙をこんにゃく糊で貼り付けたものが用いられています。当時のゴムよりも、和紙とこんにゃく糊のほうが気密性がずっと高かったのだといいます。

今では、建材も食べ物も、さまざまな新しいものが生まれています。でもこんにゃくは、今も昔も、こんにゃくのままです。
料理でもそれほど目立つ存在ではありませんが、名脇役として、ゆっくり「味しみ」を待って食べる食材です。スピード化の時代にありながら、なんとも落ち着く食べ物ではないですか。
おでんこんにゃく

こんにゃくも、時には主役に!

1:

2:だんだん減っていくこと。
3:いい加減な作り方の質の悪い製品を、むやみやたらに数多く作ること。