色、いろいろの七十二候
第8回
腐草為蛍・らっきょう
桑色 #B79B5B
菖蒲色 #674196
らっきょうは、これまた旬のはっきりした野菜です。出荷のほとんどは5月、6月に集中しています。ちょうど今頃は、スーパーマーケットにもらっきょうが並びます。
らっきょう漬けは日持ちが長く、自家製のらっきょう酢漬けは、1年以上じゅうぶん食べられます。我が家でも、ちょうど昨年漬けたらっきょうが残り数個、というタイミングで、今年のらっきょう出荷シーズンがやってきました。さっそく漬け込みましょう。
泥付きらっきょうを洗って皮を剥き、塩漬けにしたのちに調味酢に漬け込む、これがらっきょう漬けの大まかな手順です。
洗いらっきょうを買ってくれば、泥を落として皮をむく、というプロセスが不要になります。
けれど、泥付きらっきょうに比べると割高なのと、食感もちょっと物足りないので、泥付きらっきょうを買い求め、洗い、そして皮を剥きます。
らっきょうの皮剥きは、繰り返しているうちに妙な気分になってきます。
同じ字を書き続けると、この字はこんな字でよかったのだろうか、と感覚がおかしくなることはありませんか? ゲシュタルト崩壊と呼ばれるこの状態に、らっきょうの皮剥きが誘うのかもしれません。
「どうだか。」Kは、きつい顔をする。
「Kは、僕を憎んでいる。僕の八方美人を憎んでいる。ああ、わかった。Kは、僕の強さを信じている。僕の才を買いかぶっている。そうして、僕の努力を、ひとしれぬ馬鹿な努力を、ごぞんじないのだ。らっきょうの皮を、むいてむいて、しんまでむいて、何もない。きっとある、何かある、それを信じて、また、べつの、らっきょうの皮を、むいて、むいて、何もない、この猿のかなしみ、わかる? ゆきあたりばったりの万人を、ことごとく愛しているということは、誰をも、愛していないということだ。」
Kは、私の袖をひく。私の声は、人並はずれて高いのである。
私は、笑いながら、「ここにも、僕の宿命がある。」
太宰治「秋風記」より
単純な作業としてのらっきょうの皮剥きではなく、努力でたどり着いた先には何もなかった、という切ない告白です。
猿が皮を剥きつづける、というのはどうやら眉唾のようですが、らっきょうの皮剥きをひたすら続けることで、自身の心境を愉しむのもまた一興です。
食品がいつでもどこでも手に入る今、こういう漬けものは、ホビーとして愉しむに限る、といってしまいましょう。自分でやれば、味のコントロールも思うがまま。繰り返すことで上手になっていく歓び。
市販品を買ってきて、袋を開ければすぐ食べられます。けれど、手間を掛けてオリジナルを作る、というのが、なんにつけても、やっぱり楽しいですよね。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2015年06月06日の過去記事より再掲載)