まちの中の建築スケッチ
第29回
旧粕谷家住宅
——住宅街の中の茅葺古民家——
都内にもいくつかの茅葺民家が残されている。板橋区徳丸に300年前に建てられた民家、粕谷家住宅がある。江戸時代の徳丸地区の名主、粕谷家の浅右衛門の隠居宅と伝えられている。つい10年ほど前まで、第9代にあたる大正生まれの粕谷尹久子氏が住んでおられたが、生前に板橋区に寄贈されたものという。庭も手入れされてあり、美しい茅葺である。
周辺は大小敷地の入り混じった住宅街である。旧粕谷家は400坪ほどもある広い敷地で、入口から南側の広い庭を通って、玄関口の土間に入る。けやきの大黒柱に立派な曲がりのある梁がかかっている。3本の大黒柱から左手は、板の間のヒロマと囲炉裏のあるお勝手。その奥が、ツギとザシキの畳の間になっている。
享保8(1723)年に建てられたことが判明しており、天保、明治、昭和と、時代ごとの改修の間取り図が紹介されている。深い軒下に廊下を回したり、土間に風呂や寝室を増築したりして使われていたのを、天保時代の原型に戻して解体修理されたと説明してある。茅の葺き替えは1300万円要したとのことであり、今後も、保存・管理はますます難しくなることが想像されるが、クラウドファンディングによって基金を募っている。季節柄、ヒロマには
隣の赤塚地区には板橋区郷土資料館があって、そこにも茅葺古民家があると聞き、そちらも訪れた。こちらは、田中家から昭和46年に区に寄贈され、徳丸地区にあったものが移築されたという。寄棟茅葺農家で、粕谷家住宅とほぼ同様な平面プランになっているが、一回り小さい。こちらは、七段飾りを筆頭に、ひな人形が4セット飾られていた。手前には瓦葺き2階建ての納屋も配され、農家の雰囲気が醸し出されている。資料館には、江戸時代の絵図が展示されており、旧粕谷家が、安楽寺と神社の間に位置し、村の高台の中心にあったことがわかる。
高島平というと、都営地下鉄三田線の終点の、住宅公団の大団地のイメージが強かったのであるが、実際に歩いてみると、公園緑地も多く、それ以前は畑や田んぼが広がっていたのであろうと想像できる。
都内で生産緑地が話題になることがあるが、現実には緑地が減少する傾向にある中で、多少コストをかけてもまちの緑を増やす政策が必要になってきている。小規模であっても、区民農園とか農地活用の工夫が見られると、気持ちよい空間と感じられる。茅葺古民家が、そんな緑地空間の拠点になると、さらに生きた財産になるのだろうと思ったりした。