色、いろいろの七十二候
第107回
霎時施・どんぐりいろいろ
二十四節気
霜降
七十二候
霎時施
濃紫色 #3E214C
この時期、公園にはいろいろなどんぐりが落ちています。
どんぐり拾いの引率をしたことがあります。子どもではなくて、大人を連れて。公園だけでなくて、神社や無人の小島など。いろんなところに、どんぐりが落ちています。
普段はしゃちほこばった仕事のお付き合いの相手でも、しばらくどんぐりを拾っていると、すっかり夢中になってしまいます。
かつて、縄文時代の人々は、どんぐりを主食にしていました。私たちがどんぐりを拾いたくなるのは、もしかするとその頃から遺伝子に刷り込まれているからかもしれません。
どんぐり類の多くはそのまま食べるとかなり渋く、アク抜きが必要です。縄文の人々もそれは同じだったようで、縄文式土器は、どんぐりのアク抜きのための土器でもあったのです。
縄文時代のどんぐり拾いは、それが主食であることから、拾えなければ飢えてしまう、命に関わる仕事だった、といってもいいでしょう。現代のどんぐり拾いは、空腹を満たすために行われることはありません。しかし、現代においても、どんぐりは命に関わる大事なものなのです。
命とどんぐりの森
植物生態学者の宮脇昭さんは、著書「いのちを守るドングリの森」で、どんぐりこそが、土地本来のいのちの森のキーワードだ、と言っています。
森を大きく三つに分けると、木材生産を目的とした人工林、里山の雑木林、そして土地本来の森、となります。厳密な意味での原生林はもう日本にはほとんど残っていませんが、生態学的に、それに近い組み合わせを残している森が、「鎮守の森」です。むやみに人が立ち入ることをよしとしなかったことが、自然林に近い状態を残しました。この鎮守の森を構成する高木層は、シイ、カシなどのどんぐりをつける樹々です。
これらの樹々のもとに、亜高木層、低木層、草木層が出来て、多様な生物相が出来上がります。
いのちを守るドングリの森 (集英社新書)
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人が作ってきた風景としての里山には、燃料にするためのコナラやクヌギといった、どんぐりをつける樹々がありました。
国木田独歩は「武蔵野」で、
昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢の類で冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。元来日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである。林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも楢林の奥で時雨を聞くというようなことは見あたらない。
と記しています。
明治時代にはまだ、雑木の風景を美しいと思う人は多くなかったようです。
ナラなどで構成された雑木林の風景は、はからずも私たちが懐かしさを覚えるような風景になっています。
ひろってきたどんぐり(コナラ、クヌギ、アラカシ)たちは、我が家の庭ですくすく育ち、新たなどんぐりをつけるまでになりました。
鳥や虫、いろんな生き物がやってきます。せまい庭であっても、少しでも森の役割が果たせればうれしいな、と思っています。
(2013年10月23日の過去記事より再掲載)