色、いろいろの七十二候

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芹乃栄・七草

七草
こよみの色

二十四節気

しょうかん

小寒
裏葉色うらはいろ #C1D8AC

七十二候

せりすなわちさかう

芹乃栄
縹色はなだいろ #2792C3

あの月を とってくれろと 泣く子かな
雪とけて 村いっぱいの 子どもかな
這え笑え 二つになるぞ けさからは
陽炎や 縁からころり 寝ぼけ猫

どの句も一茶の句です。
一茶の生涯は、よくもまあ、と思えるほど切ないものでした。
50歳にして、はじめて家や田畑、山林を手にします。菊と結婚し、子供も生まれます。その歓びが、これらの句に横溢しています。
けれども一茶は、自分の家で、妻と、生まれたばかりの子供と一緒に迎えた正月を、

めでたさも 中位なり おらが春

と詠みます。喜び過ぎると足を掬われるので、この程度と思っておいた方がいいということでしょう。斜に構えてものをみる、いかにも一茶らしい句といえばいえますが、訪れた春は、やはりというべきか、三男一女を得たものの、子供にも妻にも先立たれ、再婚したものの3ヵ月で離婚したりと、幸せは長くは続きませんでした。
一茶には、正月を詠んだ句が、この句のほかに百首以上あります。

元日や上々吉の浅黄空
みどり児やお箸いただく今朝の春
正月の子供に成りてみたき哉
我庵の貧乏梅の咲にけり
元日も爰(ここ)らは江戸の田舎哉
門々の下駄の泥より春立ぬ
春立や先人間の五十年
まん六の春となりけり門の雪

一茶は、生涯に約2万句の俳句を詠んでいます。芭蕉の千句、蕪村の三千句に比べると非常に多く、最も多くの俳句を残したといわれる正岡子規と匹敵します。
中公新書に、『江戸俳画紀行―蕪村の花見、一茶の正月』という本がありますが、一茶ほどお正月が似合う俳人は他にいないのではないでしょうか。

お正月ということで、七草粥のことを書きます。
七草粥とは、節句(1月7日)の朝に、七種の野菜が入った粥を食べる風習をいいます。
青い物を食べる日とされ、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろの七草の野菜を刻んで入れます。邪気を払い万病を除く占いとされますが、おせち料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補う効能があります。
秋の七草がどれも見て楽しむ植物なのに対し、春の七草はすべてが食用です。

春の七草

左から ごぎょう ほとけのざ せり すずな すずしろ なずな はこべら

せりは、消化を助け黄疸に良いとされます。
なずなは、視力、五臓に効果があります。
ごぎょうは、吐き気、痰、解熱に効果があります。
はこべらは、歯ぐき、排尿に良いとされます。
ほとけのざは、歯痛に効きます。
すずなは、消化促進、しもやけ、そばかすに効きます。
すずしろは、胃健、咳き止め、神経痛によいとされます。

中国でいう、「医食同源」の究極の健康食ということができます。中国の1月7日は、3月3日の「桃の節句」などと並ぶ「五節句」のひとつで、「人の日」の節句です。つまり中国流の儀式の一つで、吉凶を占い、1年間の無病息災を祈る日でした。七草粥は、そのための特別な椀――野草を入れた吸い物でした(「七種菜羹」=七種類の野菜を入れた羹)。それが日本に伝わったのは、平安時代初期といわれます。
日本に入った当時は、野草ではなく、米、アワ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキの「七穀」を入れた粥でした。穀物が野草に変わったのは、鎌倉時代とされます。江戸期に入って、武家や庶民に定着し、幕府は公式行事として七種粥を食べる儀礼を行いました。

七草や粧ひしかけて切り刻み
  野坡
七草やはかまの紐の片結び
  蕪村
おかはりのたび青の増す七日粥
  凡茶
七草に更に嫁菜を加へけり
  虚子
あをあをと春七草の売れ残り
  素十
文/小池一三
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2012年01月06日の過去記事より再掲載)