よいまち、よいいえ
第9回
福島県会津郡下郷町・大内宿
四季と時間の変化の体験
1月の風と雪の降りしきる日で、茅葺の屋根も白く
人気もない、しんと静まった白黒の美しさだった。
2度目は、学生諸君と夏休みの旅で、賑わった中、
緑の山を背景に、汗をかきながらの引率だった。
今回は、程よい稜線に広がる紅葉と茅葺の家並みと、
緩やかな坂道と水路に構成された里らしい景色とともに、
地面に少し顔を出した防火設備と記された箱に気付き、記録した。
巡る恩恵
季節
実りの秋から、晩秋、そして冬と、山は刻々と変化を見せてくれる。特に紅葉の季節は、少しの時間でも、鮮やかな木々の様々な色が、陽の光とともに変化して、我々を楽しませてくれる。その恵みに感謝するとともに、立ち去るなごり惜しささえも感じさせてくれる。
そんな美しさを絵におさめられるかいつも不安になる。どこまで描くか蛇足にならぬようにと言い訳して、筆をとめることになるのだが、自信のなさが、やがて、次の季節はどんな風に見えるのかを想像してみることになる。
かつて、大学の卒業式に合わせてキャンパスの景色の絵葉書をと頼まれた時には、冬の景色の一対として、同じアングルの春の様子を想像して描いたこともあった。しかし、そんなことをせずにも、季節の変化や繋がりを思い巡らす時間が、絵を終えるとともに必ずやってくる。未熟さの反省とともに、見えない季節の色が想像できて、ありがたいと思う。
道
先まで見えない道は、次の想像をかきたて、楽しませてくれる。歩くことによって見えない姿がつながり、予想外の出逢いもある。道の選択には迷うが、間違えば出直しもいい。なごりおしければ改めて違った経路を訪ねればいいのだ。むしろ線の体験が面として認識できることもある。前と同じ道を歩かねばならない場合もあるが、時が変われば異なる姿が見られる。
描いた大内宿は旧下野街道の宿場。この先を上るとまちなみを一望できて、蔵の町会津若松に向かい、手前を下れば日光につながる。昨年は、日本橋から旧日光街道を完歩したから、いずれは日光から会津まで歩いてみる時間もつくろうと思ったが、しかし山道は注意が必要だ。
旧甲州街道歩きでは、熊出現の注意の中を甲府まで歩いたこともあったが幸い無事ですんだ。まあ、熊との出会いはお互い避けられる時を選ばなければならないのだろうが、今までにない体験の期待も生まれる。
水
この大内宿は、水路も魅力ある資源の一つで、突き当りの左側から流れている。家並み側は、植栽され、石積みもされて、少し下って洗濯や水汲みができる場もある。茅葺の街並みが続いているので火はすぐに延焼するから、水の利のみならず、人々の協力は不可欠で、その繋がりは計り知れないものがあることを想像させてくれる。
それを裏付けるように、家並みの中ほどにある案内板には、水道の経路とともに、消火栓や放水銃が収めてある箱の位置などもわかる防火のネットワークが示されていた。水のめぐりが見えることで、まちの様々な繋がりも知れたのだ。
記憶
江戸への参勤交代の宿場町としてひらかれた大内宿だが、その役割は、時とともにルート変更や日光地震などを経ながら主要路ではなくなり半農半宿状態へ、そして新街道や、鉄道ができて役割を終え、農村としての存続も付近のダム建設で農地を減らし、苦難の道を経てきた。歴史的に注目されるようになってからも、平成になるまでは、茅葺きの傷みにとりあえず鉄板を載せてしのいだ姿も混じり、道もアスファルトの道だった。
現在は観光客も集まる屈指の歴史的な地区となり、ここから少し離れた付近でも、茅葺作業の光景が見られた。時代の変化に動かされながらも、何とかつなげてきた積み上げが今を作ってくれているのだ。在りし日の美しい姿を見させてくれる感謝とともに、かつて訪ねた姿も思いおこすこともできて、幸せな気持ちになった。
(2015年12月07日の過去記事より再掲載)