まちの中の建築スケッチ

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旧岩谷堂共立病院
——明治を偲ぶ木造建築——

旧岩谷堂共立病院

明治7年に水澤県における初めての西洋病院として、現地の棟梁の及川東助によって建てられたという。江刺のまちは、明治9年になって今の岩手県におちつくまで、初めは花巻県、そして江刺県、一関県、水澤県、磐井県とじつに目まぐるしく県名を変えている。行政も大変だったことが偲ばれる。また、平成18年(2006年)の市町村合併で水沢市と江刺市が合併して奥州市となった。実際に病院として使われた期間は短かったようであるが、裁判所や小学校の一部になったこともあり、昭和36年までは役場・市役所として使われ、昭和54年に県の有形文化財に指定された。
今は、「明治記念館」という立派な名前の施設で、常駐の管理者もいて、入場無料で見学できるようになっている。内部には、当時の医療器具なども展示されている。
中央部分は4本の30cm角くらいの太い柱で支えられ、4階の屋根までの通し柱になっている。十字に交差する梁を支えている仕口には、眺めても安心感がある。2階部分は、北、東・西面に床があるが、外側に窓はなく、内側に向けて中央と玄関の吹き抜けに面した開口がある。3階部分は、寄棟屋根の屋根裏部分で窓のない部屋である。4階のガラス窓はスライドできるようになっていたが、今は固定してある。少し歪んだ板ガラスには小さな気泡も入っていて、時代が感じられる。その外側にバルコニーも回っている。さらに上の8角形平面の塔屋部分は、大正時代に壊れたが、有形文化財指定後に寄付金も集めて保存修復されたという。擬洋風の楼閣としてすっきりした構造であるが、実におしゃれな、白い塗壁と赤い菱葺き金属屋根の外観である。正面入り口の両側には、桜の木が出迎えてくれている。
菊田一夫原作の「鐘の鳴る丘」に登場するとんがり帽子の赤い屋根のモデルは、当時の岩谷堂町役場だとされている。菊田が戦時中に疎開していた江刺の旅館からも、川越しによく見えたのだという。昭和の岩谷堂町役場の古い写真を見ると、1階はほぼ全面に開口が設けられ、また屋根は瓦のようにも見える。塔屋が無いのは壊れた状態だったのだろう。そうなると「とんがり帽子の時計台」は想像だったのだろうか。古関裕而作曲の主題歌「とんがり帽子」の立派な歌碑が、玄関前に鎮座している。江刺のまちを縦貫する北上川支流の人首川から坂を上った丘の上に建つというロケーションも、外観も、病院建築というよりは、「鐘の鳴る丘」のイメージにぴったりである。
それほど大きな規模ではないが、ただ展示される記念館としてだけでなく、何かに利用できると、もっと建物としても生きると思うが、いかがだろう。よくある例だと、やや陳腐だが、結婚式場とかレストランくらいしか、思い浮かばないが、いっそ奥州市江刺支所特別出張所として復活させるあたりが、良いかもしれない。