おひさまと二十四節気
Vol.2 雨水・お雛様を出す
立春から数えて2つ目の節気「雨水」、暦便覧では「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」とされていて、現代的に解釈すれば、雪が雨に変わるころ、ということでしょうか。
雨水のときの太陽黄径は330°です。
と、黄径で言われてもピンと来ませんよね。
びお編集部のある静岡県浜松市だと、日の出は6:34ごろ、日の入りは17:32ごろ、太陽が一番高く上がった時の角度(南中高度)が42°ぐらいです。
15日前の立春が、日の出6:44ごろ、日の入り17:21ごろ、南中高度は39°ぐらい。15日間で、昼の長さは20分ぐらい長くなり、太陽も少し高く上がるようになっています。
よく、冬の低い高度で照らすおひさまの熱を室内に取り込み、夏の高い高度の日射を遮るために、軒を深くだす、なんていうことがあちこちで言われています。けれど、上に書いたように、たった15日違うだけでも太陽の高度はそれなりに変わります。毎日少しずつずれていくわけです。
冬至と夏至の南中高度が象徴的なのでよく使われますが、それ以外の日だっておひさまは降り注いでいます。冬至の時に十分な日照が得られないような地域でも、立春を過ぎてくる頃には日射量が増えてくることも多いので、そういう地域なら、窓と軒の関係も「冬至と夏至」ばかり考えず、少し冬至からズレたところに焦点を合わせる計画もあり得ます。
こういうことがパッシブ設計、だと思うのですが、窓の方位に関係なく、冬至の南中高度を挙げて、太陽熱が入ります、というだけでパッシブだ、という向きもあって、なんだかなあ…。
さて、今回のテーマ、「おひなさま」って、「おひさま」と一字違い、ということに、書きはじめてから気づきました。
お雛様は、元々は災厄を肩代わりしてもらう形代だった、というから、一種の身代わり信仰の対象ですね。
おひさまの方は、言わずと知れた、いろいろな宗教・神話で、太陽神として崇められています。どちらも、古くは信仰の対象ですが、今はお雛様を信仰心を持って飾る、ということはそんなにないのかな(あったらごめんなさい)、と思いますし、おひさまも、信仰心というよりは、太陽光発電の収支とか、そういう目で見られる方が多いかもしれません。
この一字違いに、何の因果関係もないでしょうけど、両者に共通する「さま(様)」って、自然と敬うように付けられた感じがあって、いいなあと思います。
(これが、近現代だと、敬意を通り過ぎて、畏怖の対象としての「様」の方が多いように思います。某国の偉大なる将軍様とか。拳王様、ハート様とか。ヨン様なんてのもあった)
そんな、敬意のこもった「様」がつくお雛様。3月・上巳の節句の代名詞のようですが、雨水での登場です。早いんじゃない? と思うかもしれないけれど、お雛様は、雨水に出すと良縁に恵まれる、という言い伝えがあるんだとか。良縁に恵まれる、というのは、いいことですね。
ところが、せっかく良縁に恵まれる、という話があるのに、一方で、「早く片付けないとお嫁に行けなくなる」とか、」婚期が遅れる」なんていうこともよく言われます。でも、そういうのは、誰も得しない話だよね、この現代にあっては。
「あの時、お雛様を出しっぱなしにしたからアンタはいつまでもケッコンできないのよ」なんて親に言われたらたまらない。そこまでストレートにいう親ばかりでないとしても、心の中でそういうわだかまりがあったりするのは良くない。極めて良くない。そんなのは、まるで呪いじゃないか。
北風と太陽(お、おひさまに繋がった!)、という寓話じゃないけど、悪い話で人を縛るんじゃなくて、雨水に出すと良縁に恵まれる、という、いい話だけいただいておこうよ。