びおの珠玉記事
第156回
鰤の話
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2015年01月10日の過去記事より再掲載)
ブリの呼び方
鰤。魚偏に師と書きます。
この漢字の由来には諸説ありますが、師走に美味しくなる魚、という説があります。
あれ、旬を過ぎちゃってるじゃないの、と思うのは早計で、ここでいう師走は旧暦の12月、そう、まさにこれから迎える季節が本番です。
ここで重要なのは「寒ブリ」であること。
ブリという魚の呼び方は、「脂多き魚なり、脂の上を略する(貝原益軒)」というほど
脂の多い魚であり、「あぶら」が「ぶら」に、そして「ぶり」に転訛した、という説もあります。
この脂が一番多い時期が、まさに今の寒い時期。ブリは春からの産卵に備えて、この時期は体内に栄養を蓄えています。
「寒ブリ」は、その脂のノリをあらわした言葉です。
寒ブリの「寒」は、寒中(小寒〜大寒、まさに今)を差すのかもしれませんが、そうすると、「師走」と重ならなくなってしまいます。
強引に解釈すれば、旧暦の師走と、新暦の寒中が重なるのは1月下旬ごろからで「寒」の「鰤」の時期がやってきます。
と、随分言葉にこだわってみました。
ブリは、出世魚として知られます。その大きさと、地域によってさまざまな呼び名があります。「ハマチ」「イナダ」「ワラサ」「ツバス」「メジロ」など、みなブリの出世中の名前です。「寒ブリ」は6kg以上だ、7kg以上だ、いや10kgなければ寒ブリとはいえない、12kgからまた肉質も違う、などいろいろな声があります。私達も、「寒ブリ」と聞くと、「ブリ」より美味しい、ような気がします。ハマチとブリでも、その印象も味も違います。
英語では、ハマチとブリどころか、別種であるカンパチもみな「yellowtail」と呼んで、いっしょくたにしてしまうことがあります。
日本では、マグロも細かく区別して、もちろんカツオは全く別物として扱いますが、これも英語では「tuna」で全て片付けてしまうことがあります。
本当に区別がついていないのか、腹に入ればおんなじだ、という考えかはわかりませんが、名前をつけて区別する、ということは表現であり、愛情でもあります。
ハマチとブリはやっぱり違うし、寒ブリは脂がのって最高だ、という感覚は、大事にしたほうがよいと思うんです。
ブリまるごとで、ブリパーティ
唐突ですが、寒ブリパーティのお勧めです。
寒ブリは、通信販売でも手に入れることが出来ます。天然物で、当然在庫があるわけではありませんので、漁の成果次第で、いつでも買える、というわけではありません。
特にこの冬は、寒ブリがなかなかあがらないようです。
商売でブリを扱う場合には悩ましい問題ですが、家庭で愉しもう、という場合には、このプレミアム感もまた一興です。
ブリは餌となる魚群を追って日本周辺を回遊している魚です。春に北海道までのぼったブリは、秋頃から南下しはじめます。太平洋側でも獲れますが、寒ブリの本場は氷見、能登、佐渡といった日本海側です。氷見の寒ブリはブランドとしては最高級ですが、お値段も張ります。今回は、この三つの産地で一番早くブリが通る佐渡からお取り寄せをしてみました。
家庭でも、大きいまな板と出刃包丁があればさばけますが、むずかしそうなら魚屋さんでもさばいてもらえます。
10kgクラスのブリを一尾丸ごといただこうとすると、数人程度では持て余します。半身でも10人ぐらい分はまかなえます。
ブリは捨てるところがない魚といわれています。頭は焼いてもいいし、大根と煮るブリ大根も定番です。脂の多い腹は刺身で、背中は照り焼きに。カマ焼きもごちそうです。
寒ブリの脂はものすごくて、さばいた手や道具はヌルヌルになりますし、刺身の醤油には脂が浮かびます。脂っぽいのがニガテなら、ブリしゃぶもお勧めです。
ブリの相場は産地や漁獲状況で変わりますが、今回のものは送料を入れて4万円弱といったところでした。半身で10人、一尾で20人分と考えれば、そんなに高いものでもありません。
天気と漁獲を気にするのもまたたのし、さばいた部位ごとをどこに使おうか、なんて悩むのもまたたのし。ブリは文化を築いてきた魚であり、そんなことを学びながらワイワイやるのはたのしいですよ。
ブリの話は以前にも特集しています。歴史や文化についてはそちらも参照してください。
前回の鰤特集から、今回どうしても訴えたいことを改めて引用します。
ただ、昔の人は寒ブリを大事にするが故に、ほかのことをガマンしました。「ケの日」(日常)は慎ましく暮らし、そうして「ハレの日」(大切な日)のために貯えました。
考えてもみてください。富山湾で水揚げされた寒ブリが、牛馬で飛騨高山に運ばれ、それが人の背によって雪の野麦峠を越え、権兵衛峠を越え、小川路峠を越えて遠山郷まで運ばれたことの意味と内実を。
藤森栄一の『峠と路』(学生社発行)によれば、信州の農民は、自分たちが雑穀を食べても米を残しておき、歩荷(ボッカ)たちが運んできた飛騨ブリと交換したといいます。
結局、暮らしの中で何を大事にするかということではないでしょうか。
今は宅配便で、日本中、翌日か翌々日には運ばれます。富山湾の寒ブリもホタルイカも、越後村上の三面川の塩引きサケも買い求められます。このインフラは、それはそれで素晴らしいことなので、それを活かして、地元から取り寄せようとすれば可能な時代になりました。それらは決して安くありませんので、食べたいものを選びに選ばなければなりませんが……。
その意味では、今はスピード時代です。何でも、どこからでも、お金を出せばほとんど買えます。今は選ぶことに価値があり、家族みんながそれを待ちわびて、一年に何回か時間を合わせて食することで、その価値はさらに高まります。
エネルギー漬け・薬物付けのものを、一年中いつでも食べられるのがいいのか、旬を選び、腹八分目に味あうのがいいのか、どちらがいいかは、みんな分かっています。分かっているし、誰でもやろうとすればやれる時代なのに、惰性なのか、忙しさにかまけるからなのか、なかなか切り替えられません。
スピード時代のスローフードは、一人ひとりの暮らし方に掛かっています。
誰でもやろうとすればやれる時代、です。
ファストフードやインスタント食品の異物混入に目くじらを立てるより、旬のものをしっかり選んで腹八分目、で笑おうではありませんか。