フランスと移民
ところかわれば
| 森弘子
旅行でシャンゼリゼ通りやエッフェル塔、ルーブル美術館などの観光地のパリを歩いていると、あまり気にすることはありませんが、フランスはヨーロッパでも随一の移民大国です。パリのメトロ13番線や4番線など一部の路線では、ある駅から急にアフリカ系や中東系の装いの人、あるいはアジア人がふえ、雰囲気がガラッと変わります。現在では人口の約10%が移民であり、その多さはフランス社会に大きな影響を与えています。
フランスにおける現在の流れを汲む移民の歴史は、19世紀中ごろから始まります。兵士や労働力の不足から、移民を受け入れ始め、第一次世界大戦では多くの労働力が失われ、また出生率も低下したため、より積極的に移民を受け入れ始めました。戦後の経済発展においては大量の労働力が求められ、炭鉱や自動車産業の労働者として近隣のスペインやポルトガル、アルジェリアなどから移民が受け入れられました。特に、フランスは植民地化していた北アフリカのマグレブ諸国(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)の“植民地支配の清算”として、積極的に移民を受け入れなければならなくなります。フランスは人道的観点から、家族の呼び寄せは可能としており、そのためもあり移民の数は非常に多くなっています。
少し話はそれますが、このことにより、以前の記事でも少し触れたSaint-Denis(サンドゥニ)というパリ北部にある郊外都市は人口が増加、現在でも拡大しており、前回の記事に書いたLe Grand Parisにおいて北部の発展の中心的存在となっています。しかし、その後、1974年のオイルショックなどで世界経済は停滞。フランスは移民の受け入れを停止し、帰国希望者には給付金を渡して帰国を促しましたが、うまくいきませんでした。2000年代に入ると出生率は低下、労働力確保のため再び積極的に受け入れる方向に舵を切りました。
フランスでは今年初め2024年1月に、新たな移民法が制定されました。これは、不法移民の国外への追放を迅速化すると同時に、人手不足が深刻化する飲食や建設などの分野の外国人労働者の受け入れを拡大するための新たな法律です。
内容はいくつかあるのですが、今回は移民の受け入れを拡大するため、2026年末までの期限付きの措置として、人手不足の分野においては、「臨時労働者」または「従業員」の滞在許可を以前に比べ容易に取得できるようになりました。従前ではこの滞在許可証の申請には、雇用主を通して申請なければならなかったのですが、今回その義務はなくなり、スムーズになります。ただし、過去24ヶ月の間に合計で12ヶ月以上働いたこと、3年間フランスに居住していること、フランスの文化に統合していること=フランス語の語学が一定レベルあることを証明する必要があります。度々改変される移民に関する法律は、社会状況によって影響を受け、移民としてフランスに住む人たちに不安定さを与えています。
移民大国であるフランスも、先に書いたように観光で訪れるパリではあまり感じることが多くないのですが、昨年からサンドゥニにあるパリ第8大学の大学院に通うようになり、特にフランスが移民大国であることを感じるようになりました。大学が移民の人たちが多く生活している13番線沿線にあることもありますが、学んでいるのが教育学であり、教育という分野は母国(アフリカ各国など)での教育への応用やフランスでの移民としての学びの環境が研究の対象とされるためです。また、多言語での生活(家は母国語で、学校ではフランス語)や文化の違いから生まれる学校生活での困難さなどを研究する学生もいます。
先日、「民族性と他者性」というテーマの授業を履修したのですが、履修した学生の多くが移民あるいは移民2世で、フランスにおける自分たち自身をテーマに取り扱っていたため、授業内のディスカッションも白熱。内容も非常にセンシティブなものとなり、授業後には皆が感情的になり疲労困憊するという事態になりました。
フランスのような移民大国であるからこそ、自分とは何者かを他者と比べ、見つめるきっかけが生まれるのではないかと感じる内容でした。